廃寺、彌勒寺(奈良前期創建)の境内にある。この廃寺の塔心礎は、国史跡である。 昔、朝臣・藤原冬久がこの地を訪れ、神女の教えに従って御井の神湯にひたるとたちまち病が癒えたといわれている。それが御湯神社の由来である。 江戸期大野台地附近には猿田彦を祭神とする伊勢宮と、大己貴命・八上姫・御井之神の三神を祭神とする御湯神社の二社が並存していた。大野台地の集落は、岩井宿の繁盛につれて衣第に衰微し、元文年間(1736〜41)には人家もなくなつた。その後両社を合祀して現在地に遷した。 この伊勢宮が式内御湯神社に比定する説がある。また伊勢宮は「大(野)式杜ノ宮」と称していたとして式内大神社に比定する説がある。 |
御湯神社 例祭日 4月25日 秋祭 10月13日 式内社は延喜式神名帳に記載された神社で当御湯神社は遠く古代からこの地域の中心として鎮座した由緒ある神社である。 創建 平安初期の弘仁2年(811)と推定される。 御祭神 御井神 大国主命の御子 大巳貴命 大国主命の別名 八上姫命 御井神の母神 猿田彦命 湯の町岩井の守護神である御井神社「みい」が転訛り「みゆ」となり御湯の文字をあてて御湯神社と称するようになったものと思われる。 又境内には拝殿の右に稲荷左に藤ヶ森の境内社と能登守平教経の矢研石(伝承)がある。 社頭掲示板 |
御湯神社 鳥取 御湯神社と岩井廃寺跡 岩井温泉の守り神の御井神[みゆのかみ]を祭る神社。創建は811年(弘仁2)、『延喜式』にも記された古社だ。神社に向かう石段の麓にある旧岩井小学校の校門のそばには、約1300年前創建の岩井廃寺弥勒寺三重塔の心礎(史跡)が残っている。地元では古くから「鬼の碗」[おにのわん]とよばれてきた、穴のあいた巨大な岩で、横3.63m、縦2.36mと、日本最大級の大きさを誇る。 http://domestic.travel.yahoo.co.jp/bin/tifdetail?no=jtba4300770 |
岩井廃寺 「 弥勒寺 」 塔跡由来 弥勒寺は、今から約1200年前の白鳳期に創建されたもので、礎石は三重塔の心礎石であり、古くより 「 鬼の碗 」 と呼ばれている。 この礎石は、横3メートル63センチ、建て2メートル36センチの日本最大級のもので、円口外線に高さ3センチ、一辺1メートル40センチの方形造りだしをもつ白鳳期の特徴を示しており、出土瓦も白鳳期より平安初期にわたる三種に分類され、寺院修築の年代を示すものと注目されている。 付近には金堂が建立されていたと思われる 「 弥勒堂 」、南におよそ100メートルの「 大門 」 などの地名は、かつての寺院規模を考えさせる。 昭和6年11月26火、史跡として文部大臣の指定を受けている。 平成18年8月 岩美町教育委員会 社頭掲示板 |
松魂慰霊碑の由来 御湯神社は、今を去る千数百年前総絵kンされ ( 平安時代初期 )、延喜式神明帳にのる由緒ある神社で、その境内は松・杉・椎・樅塔の老木が鬱蒼と繁茂し森厳幽邃、その社叢は郡内随一と云われ、神社の歴史を物語っている。 昭和50年頃より全国の松林に発生した松喰虫の被害には、樹齢400年の松の老木も次々とこの被害にかかり、ついに伐採するの運命に至ったのである。 当神社総代会に於いては、之を運営委員会にはかり、神社庁の了解の許に被害木を伐採売却しいぇ、これが浄財の一部を以って多年の懸案であった手水舎を建て、併せて拝殿の屋根を銅板に葺き替え、永久に松の魂を祀る事とし、此の慰霊碑を建立した次第である。 昭和57年4月吉日 御湯神社宮司 小田美穂 氏子総代 山本太郎・中島恭一・小谷勲・伊藤恵三郎 社頭掲示板 |
御湯神社 延喜式所載の小社なり俗に伊勢宮と號す、因幡誌に「村の河東の山下にありて伊勢宮と號す、延喜式神名帳に載る御湯神社これなり社伝に曰祭神少彦名命と此神廟旧大野村 当村の東長谷口にあり今民家なし の山麓にありしを近世此地に転遷す因て大野ノ宮ともいふ今の社地は彌勒寺といふ古寺の廃跡にて、華表の傍に大塔の礎といひ傳ふる大石あり」と見ゆ、降りて明治5年2月2日郷社に列格し明治40年2月3日神饌幣帛料供進神社に指定せらる、大正6年10月16日同村大字長谷宇岡森河原鎮座村社岡森神社 祭神興登魂命、大山祇命、岐紳 同村大字白地字廣苔毛鎮座村社白地神社 祭神素盞鳴命大帯姫命 眞名宇上土居鎮座村社眞名神社 祭神猿田彦命 の三社を合祀す。 鳥取県神社誌 |