高野神社
たかのじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】高野神社 因幡国 巨濃郡鎮座

   【現社名】高野神社
   【住所】鳥取県岩美郡岩美町延興寺69
       北緯35度30分42秒、東経134度20分18秒
   【祭神】瓊瓊杵尊 (合祀)国常立尊 (主神)天照大神 誉田別命 倉稻魂命
   【例祭】4月9日(本祭)、9月9日(秋祭)
   【社格】旧村社
   【由緒】仁賢天皇御宇壬申(492)勧請
       承暦4年(1080)6月神事を穢したため中祓を科せられる
       貞享元年(1684)9月造営
       宝永7年(1710)6月造営
       宝暦4年(1754)3月造営
       安永5年(1776)2月造営

   【関係氏族】氏
   【鎮座地】昔は二上山の南の尾、高野坂に鎮座
        中古現在の地に

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿・神輿庫・参籠所

   【境内社】

昔は二上山の南の尾、高野坂(現在も地名が残る)にあつたのを中古此地に遷したと伝える。


高野神社

例祭日 4月9日
祭神 瓊々杵尊 国常立尊 天照大神 誉田別命 倉稲魂命
当社は延喜式所載の小社なり、因幡誌に「鐘撞大神祭神瓊々杵尊この神社は昔二上山の南の尾高野坂にありしを中古この地に遷すという」と記されてあり。
持宮神官宮島家世代帳に「人皇25代仁賢天皇御宇壬申年(西暦492)鐘撞大明神稲葉国巨沢郡小田谷に勧請有、高野郷惣産土神。宮島平太夫」とあるもこの世代書の根拠は何によってか詳でない。併し鳥取県神社年表に白河天皇(72代)承暦4年(1080)6月因幡国高野神、大江神、伯耆国倭文神(官幣社)大神山神(官幣社)国坂神(郷社)の社?等過って神事を穢すに遭うに依て崇給う使を遣し中祓を科せらる」と記されてありこれを考えれば古くより名だたる神社の中に数えられていたものと思われる神社棟札に貞享元年(1984)9月新殿一宇建立のものあり是は本願高住村長郷村、池谷村、円江寺村、外村、大坂村、村中に不残とあり。また宝永七年(1710)6月上家作立のもの、宝暦4年(1754)3月一宇建立のもの等前記七ヶ村の氏子があげられ次の安永5年(1776)2月一宇建立になると高住長郷はなく延興寺外村大谷大坂池谷唐川の6ヶ村より別当の寄附の寄進あり。
合祭の国常立尊は元摂社若一王子と称し同村字釜戸に鎮座せられたるが明治元年釜戸神と改称され合祀する。棟札に承応2年(1651)8月若一王子建立元禄12年(1699)9月若一王子権現新設一宇建立文政12年(1829)10月神体再興建立等あり。また末社神明宮(祭神天照大神)八幡宮(祭神誉田別命)神位社なども併せ明治元年本社に合祀し高野神社と改称する。
昭和45年9月9日

社頭掲示板



高野神社

延喜式所載の小社なり、鐘撞大明神と称す、因幡誌に「此神社は昔は二上山の南の尾高野坂にありしを中古此地に蓬すと云ふ」と記す、此他詳かならず國常立尊は元摂社若一王子と称し同村字釜戸に鎮座せられ明治元年釜戸神と改称せられ又末社神明宮 祭神天照大神 八幡宮 祭神 誉田別命 神位社 祭神倉稲魂命 を合祀して山神と称せしが同年8月更らに右四神社を本社に合祀せり。

鳥取県神社誌



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