砂浜の脇の岩の上にある神社。見晴らし良い。 飛鳥時代の白鳳期(661年-685年)の創祀と伝わる。もとは浦富元宮町の鈴見山に鎮座していたという。 大同元年(806年)8月、蒲生川の氾濫により、社殿が流出したため、同年11月15日、現在地に鎮座した。 本殿は、左甚五郎の高弟である小倉円三郎が彫刻を施したものだという。五段の龍の見事な姿やその他の彫り物は評価が高い。 |
荒砂神社 祭神 大物主命 例祭 4月10日(第2日曜日とする) 当社の草創は白鳳期(7世紀後半)、浦富元宮町鈴見山に勧請と伝える。大同元年(806)8月、蒲生川氾濫にて社地社殿悉く流失。同年11月15日、現在地に建立鎮座。大神社荒砂大明神と呼称した。 文徳実録の「仁寿元年(851)10月10日因幡国大神社ニ授従5位下」、延喜式の「因幡国大神社」は当社と伝える。元亀3年桐山城に居た山中鹿之助は当社に、戦勝祈願し因幡守護山名豊国を助け鳥取城を攻略した。 現在の本殿は文化10年(1813)再建、左甚五郎の高弟小倉円三郎の手になる五段の龍彫刻は実に見事で、是非一見されたい。 五穀成就・海上安全・豊漁の神として信仰が厚い。 向島には恵美須神社(事代主神・豊玉姫命等)が祀られ、特に漁師の人々の崇敬者が多い。 平成9年3月 社頭掲示板 |
荒砂神社 勧請年月詳かならず、往昔は荒砂大明神と称し本村字鈴見山に鎮座せられしが大同元年8月洪水のため社地崩壊し祠宇悉く流失し同年大神ケ崎(現社地)に遷座せらる因幡誌に「村の前浪打際の島の上に鎮座あり其島を宮島といふ昔此神鯛の腹にやどりて出現し給ふ故に氏子の人々鯛を食はずといふ」と記せり。明治初年荒砂神杜と改称し村社に列せらる。 鳥取県神社誌 |