往昔刈田院川から深江の河内川に海水が貫通していた時、津ノ神山の麓「ベベソ」と云う所迄海水が往来した。その折一匹の亀が津ノ神様に参詣したが、潮が急に涸れて帰ることができす石になつた。今その亀石が麓のべべツにある。 古代の山上の神社には社殿はなく、只神石があるだけであつた。道という道もなく多くは麓から拝んだ。或る神社には麓にシヲイカケ石かある。参詣者はこの石にオシヲイを上げ供物を置いて拝むのである。この亀石も山上津神社の遙拝石であつたのではないかと思われる。 |
津神社 津神社は、彦波瀲武草葺不合尊・彦火々出見尊・豊玉姫命・玉依姫命・神日本磐余彦命・素盞嗚尊・大己貴命、の神々を祀られ、伝説に依ると縁結びの神・安産の神様として古くから良縁の恵みを祈り、妊婦の時には御神殿の直下の土を天保銭を投げお金で掬った土を持ち帰り、飲んだり又は腹帯に入れて安産を祈り信仰されて居る。 母子神様の振り袖は縁結びの袖、自分の生れ年(干支)の念珠の玉を撫て、男は左の袖を引けば良き美女に恵まれ、女は左の袖を引けば好男子に恵まれ良縁が結ばれる又相手の年の念珠の玉を撫れば願いが叶う。 母子神様の腰を擦って温めると子供がさずかり家内繁栄し円満な家庭が築かれる、妊婦の時は御腹の子供の年の念珠の玉を撫て安産を祈り栄養豊な母乳にて元気でたくましく育つ様願いをこめて、自分の年(干支)の念珠の玉を撫て磨いてやれば大変喜ばれ、御神様のお顔の表情が変わり氏民の幸を永久に祈られ島民の子孫繁栄を願い立てられる。 社頭掲示板 |
津神社 弘仁二年創立、延喜式内壱岐国二四座の一つで松浦藩の崇敬神社で社殿造営のごとに白銀五枚が献じられ、祭日には代参として馬廻衆が参向していた。 今でも春季祭には、牛祭りとしてにぎわいをみせている。 郷ノ浦町史 |
村社 津神社 〔旧号 津上大明神) 鎮座地 柳田村半城牛方触 祭神 彦波瀲武鵜鵜草葺不合尊 彦火々出見尊、豊玉比売命、玉依比売命、神日本磐余彦命 大正3年5月28日 牛神社合祀、素佐男尊、大己貴命 例祭日 10月10日 又春季祭、報賽祭アリ神幸式、神樂、流鏑馬ノ式アリ、 境内地 2876坪 (由緒浩革) 當社ハ嵯峨天皇弘仁2年ノ草創、延喜式内壹岐國廿四座ノ一ナリ。 一、文徳天皇仁壽元年辛未春正月庚子詔シテ正六位上ノ神位ヲ授奉ラル。 一、陽成天皇元慶元年丁酉9月25日癸亥中臣忌部兩氏ヲ遺ハシ班幣シ給フ、大甞會供奉ニ依テナリ。 一、神階ヲ進メラル、事式内小社ノ例ニ依レリ。舊平戸藩主ノ崇敬神社ニシテ社殿造營毎ニ白銀五枚ヲ献ゼラレ、祭日ニハ代参トシテ馬廻衆参向ノ社タリ。 一、明治9年12月4日村社ニ列セラル。 一、同43年10月25日神饌幣帛料供進神社ニ指定セラル。 社頭掲示板 |