律令制度の壱岐・対馬二島路は肥前国登墓(とも)(現呼子港)から壱岐島優通(ゆうつう)港(現印通寺港)を経て国府を通り、北端の何周(現勝本港正村)から対馬島の府中に通ずるものであつた。 ここ優通(勇頭)に駅家があつた。この湾頭に勇頭に接して僅かに石祠二つとなっているが津乃宮神社が残つている。 |
津乃宮神社 由緒沿革 (イ)『壱岐国続風土記』に、「津宮大明神、在津宮、所祭葺不合命、玉依姫命也、石祠云々」。 (ロ)『壱岐神社帳』に、「神坂津宮大明神、古来にて勧請年数不知、石保古良あり、定祭9月9日、寛文元、辛丑年再建云々」とあり。 (ハ)『神社考』「古来より津宮と称すれば式内の津神社ならん云云」。 (ニ)『壱岐名勝図誌』に、「前略、比説よくもかなへり、そは此所当国筑前大宰府の管下たりし頃より当所は其の津泊なりし事明らけし、近来年貢運送の津も此津最初なりという中葉まで社の前まで入江にして船泊りなりしかどやうやうにうづまりて今は水田となれり、今又地理を見るに大社にても建べき所にて既にむかしより津宮と里の名にすといい伝えければ式の津神社なりし事うたがうぺからず。」とあり。 (ホ)明治9年12月無格、社公称許可。 (ヘ)昭和25年5月27日宗教法人令により届出。 石田町史 |
無格社 津宮神社 鎮座地 石川村字津宮 祭神 彦波瀲鵜鵜草葺不尊、玉依姫命 社殿 石祠 境内地 48坪 壹岐國神社誌 |