もとは神度丘と八剣山との間、170間ほど後に鎮座した。 昔は、弥佐支刀神社の周辺は、壱岐を東西に分ける、沼地があった。 その後点々と集落ができたが。住人達は沼を交通するために、一定の場所に渡り場が必要であつた。その一定の渡り場に祭祀された神がトノ宮であつた。壱岐には多くのトノ宮がある。 |
弥佐支刀神社 弥佐支刀神社(旧号八剣大明神) 御祭神 日本武尊 例祭10月21日神幸式神楽奉奏 一 当社は延喜式内の社にして壱岐国廿四座の一なり。元は神度丘と云う所(神度丘と八剣山との間170間也但し田圃を越ゆ)に鎮座ありしと。社記によると嵯峨天皇弘仁2年(811)辛丑10月鎮座寛文12年9月(1672)御殿の造営あり。元禄13年(1700)今の地に遷し奉ると。 一 文徳天皇仁寿元年(851)正六位上に敍し奉り陽成天皇元慶元年(877)中臣己部両氏を参向せしめて幣を奉る。 醍醐天皇延喜5年(905)に至るまで十二回神階を進め給う。 後鳥羽天皇元暦元年(1184)同増位 平家追討の御祈祷に依りて也。藩主の崇敬厚き神社にして例祭日には代参奉幣の儀あり又祭日毎に祭米供進あり。 明治9年12月4日村社に列せらる。 正殿は明治18年4月25日改築せるもの。 明治29年9月神輿を購入。 現社殿は大正3年春の新築なり。 拝殿に横額あり「忠孝」の二字あり。 享保7年5月(1722)之を掛くと。 社頭掲示板 |
弥佐支刀神社 村社 弥佐支刀神社(旧号八剣大明神) 由緒沿革 当社は延喜式内社にして壱岐国24座の一なり 一、壱岐図に曰、弥佐支刀神社志原村鳥山の剱の元在所祭日本武尊也、内殿御殿上屋廊下拝殿神饌殿在俗称八剱大明神 一、壱岐神社考云、弥佐支刀神社一座小、此神景行天皇之御子倭建命也定祭9月21日社領四斗と見えたり。 一続風土記に曰、当社は延喜式第十神名帳下所載壱岐島石田郡弥佐支刀神社也俗に呼びて八剣大明神と云う、始神度丘にあり云々、即熱田大明神と御同体なり、故に社例伝記には八剣大明神と号す。 一、社記に曰、嵯峨天皇弘仁2辛卯10月鎮座奉ると云う、当社は初め同村太刀丘に鎮座す後元禄13年今の地に遷し奉る云々。 一、文徳天皇仁寿元年正月正六位上に叙し奉り給ひしより醍醐天皇延喜5年に至るまで神階を進められ給ふ事式内小社の例に依れるを以て茲に之を略す。 一、当社は藩主崇敬の社にして例祭には代参奉幣の儀あり又祭日毎に祭米供進あり。 一、明治9年12月4日、村社に列せらる。 社頭掲示板 |
村社 彌佐支刀神社 (旧号 八剣大明神) 鎭座地 志原村大原触字宮ノ原 祭神 日本武尊 例祭日 10月21日 神幸式、神樂奉奏 特殊神事 11月29日 御迎神事、大神樂奉奏 境内地 558坪 〔由緒沿革〕 当社ハ延喜式内ノ社ニシテ壱岐国廿四座ノ一ナリ。 一、壱岐図ニ日、彌佐支刀神社在志原村鳥山ノ■ノ元所祭日本武尊也、有内殿御殿上屋廊下拝殿神饌殿俗呼称八 劔大明神、 一、壱岐神社考云、彌佐支刀神社一座小、此神景行天皇之御子倭建命也定祭9月21日、社領四斗ト見エタリ。 一、続風土記ニ曰、当社ハ延喜式第十神明帳下所載壱岐嶋石田郡彌佐支刀神社也、俗ニ呼テ八劔大明神ト云フ、始神度丘ニアリ云々、即熱田大明神ト御同体ナリ、故ニ社例傳記ニ八劔大明神ト號ス。 一、社記ニ日、嵯峨天皇弘仁2辛卯10月鑓座奉ルト云、当社ハ初メ同村太刀丘ニ鎭座ス後元禄13年今ノ地ニ遷シ奉ル云々。 一、文徳天皇仁寿元年正月、正六位上ニ叙シ奉リ給ヒシヨリ醍醐天皇延喜5年ニ至ルマデ神階ヲ進メラレ給フ事式内小社ノ例ニ依レルヲ以テ茲ニ之ヲ略ス。 一、当社ハ藩主崇敬ノ社ニシテ例祭ニハ代参奉幣ノ儀アリ、又祭日毎ニ祭米供進アリ。 一、明治9年12月4日村社ニ列セラル。 壹岐國神社誌 |