延宝4年(1676)6月橘三喜は式内社の調査に際して壱岐郡角上神社をここに査定した。藩主松浦鎭信は木鏡と石保古良を献納した。 「式内社調査報告」には「深江田原が沼沢であつた古代の、山形卜神、鶴木ト神、みさきト神等一連のト神ではあるまいか。」と記している。 壱岐では河川の渡し場を「ト」と呼ぶともされ、渡りの神であるとも。あるいは塗神(とかみ)とも。 |
無格社 角上神社 鎭座地 那賀村字湯岳都上 祭神 素盞鳴尊 相殿 仁徳天皇、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇 (昭和13年 3月16日若宮神社合祀) 例祭日 9月18日 大神樂奉奏 境内地 440坪 〔由緒沿革〕 一、当社ハ延喜式神名帳ノ下ニ所載壱岐島壱妓郡角上神社是也。 一、嵯峨天皇弘仁2年庚卯冬10月朔日平旦直チニ日輪ノ神勅ヲ承ケテ神代ノ霊璽ヲ写シ奉リ眞神体ニカタドリ移シ奉ル文徳天皇嘉祥3年庚午5月庚申官社ニ列ス、 仁壽元年辛未春正月庚子詔シテ正六位ノ上ニ叙シ奉ラル以下神階ヲ進メラレ給フコト式内大社ノ例二依レリ。 壱岐神社帳ニ日トカミ角上神社ハ小神廿四座ノ内上屋アリ定祭9月18日古來ノ鎭座年数知レズ延喜式ニ所載ノ神社ナリ。 一、延宝4年丙辰木鏡御正躰一面石保古良ヲ献ゼラル鎭信公在判。 壹岐國神社誌 |