佐肆布都神社
さしふつじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】同佐肆布都神社 壱岐島 壱岐郡鎮座

   【現社名】佐肆布都神社
   【住所】長崎県壱岐市芦辺町箱崎大左右触1146
       北緯33度49分18秒  東経129度45分12秒
   【祭神】武甕槌命
       (配祀)猿田彦大神 高貴神 天照大神 天鈿女命 甕速日命 槌速日命
       經津主命 天兒屋根命 大己貴命 事代主命 稜威雄走命

   【例祭】9月28日 例大祭
   【社格】旧無格社
   【由緒】弘仁2年(811)10月朔日勧請
       延宝4年(1676)6月橘三喜同佐肆布都神社に査定

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「平江大明神」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿・社務所

   【境内社】

延喜式・壹岐郡には佐肆布都神社が二社あるが「同佐肆布都神社」と記されている。
延宝4年6月橘三喜は式内神社の調査に当り本社を壱伎島壱伎郡同佐肆布都神社に査定し、藩主鎭信御正体木鏡一面石額一枚を献納された。


佐肆布都神社

『神社明細帖』に「佐肆布都神社、但式内無氏子。社記云弘仁2年(811)冬10月朔日勧請。社地一反八畝十歩半」、『壱岐国神社田畑帳』に「佐肆布都神社、廿四座内、新田之内ニ而高三斗三舛三合并畑方三舛蒔付居」と記されている。
延宝の改め以前は平江大明神と言っていたので(『名勝図誌』)、現在でも「おひらえ様」と呼ばれている。延喜式巻十の壱岐島二四座の一に佐肆布都神社が見え『壱岐国神社総覧』も当者を延喜式壱岐二四座の内としているが、『特選神名牒』は「今按神社考に箱崎郷大左右村に平江大明神と云社ありしを延宝の調に大左右の地名を左右大と上下になして佐肆布都とすと云り沿革考には黒崎村天道宮なりとあれど其證をあけす故今姑明細帳長崎県式内社記に従ふ」としている。

芦辺町史



佐肆布都神社由来

社名 佐肆布都神社(平江大明神)
祭日 旧暦9月28日
祭神 武甕槌命を主神として他12神
由緒
「延喜式神名帳」によると、当神社は延宝4年(1676)橘三喜なる人が、式内神社を調査されたとき佐肆布都神社と定められたもので壱岐二十四社の一になっている。
松浦藩主29代天祥鎮信公は御正体、木鏡@面、石額1枚を献納されたと式内調査報告に記してある。
また現存している石鳥居は「壱岐名勝図誌」によると拝殿を去る南17間、竪9尺、横8尺2寸「明和4丁亥9月建」とあるので、昭和60年(1985)よりさかのぼること218年の昔になる。なお当神社は古くから「お平様」と愛称され地域の人々の崇敬の的になっていた。このことは延宝4年、昭和60年から309年昔に改められるまでは「平江大明神」と呼ばれていたことの名残とも思われる。
昔は境内には松や椎の木がうっそうと茂り、瀬戸の渡もほの見えて眺望無双の地であったことがうかがえる。
明暦2年(1656)平江新田(現在の大左右新田)造成の大工事の時は此の神社に祈願して干拓事業が成功したとされている。尚以前は多くの絵馬が掲げられてあったが現在は少なくなっている。その中に壱岐の鯨組から奉納されたものもある。鯨が豊漁の時は願成就に絵馬を奉納したものと思われる。石鳥居、石灯篭、絵馬、神領田等に昔からの深い信心の証をうかがうことができるのである。
昭和60年10月吉日
佐肆布都神社総代

社頭掲示板



無格社 佐肆布都神社

(旧号 平江大明神)
鎭座地 箱崎村大崎右触
祭神 
武甕槌命、高貴神、天照大神、猿田彦命、天鈿女命、甕速日命、樋速日命、経津主命、稜威雄走神、天児屋根命、大己貴神、事代主命
例祭日 9月28日 神幸式、大神樂奉奏
境内地 645坪
〔由緒沿革〕
一、当社ハ延喜式内、壱岐国廿四座ノ一ナリ。
一、仁明天皇嘉祥4年辛未正月庚子正六位上ヲ奉ラル以下加階諸社ニ同ジ。

壹岐國神社誌



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