勝本聖母大明神を式内手長比売神社とする説有り。 手長比売神は、本宮八幡の神と石礫を投げて領田を競ったという。八幡が投げた石は遠くまで飛び、手長姫が投げた石は、近くの榎にあたって跳ね返り、足元に落ちてしまった。このため、八幡神社の祭田は広いものとなり、手長姫神社の祭田は一反5畝という狭いものになってしまった。 |
無格社 手長姫神社 鎭座地 壱岐郡鯨伏村本宮 祭神 拷幡千々姫命、天忍穂耳尊 例祭日 10月19日 境内地 245坪 〔由緒沿革〕 一、神名記ニ曰、本宮手長比売神社小、改以前ハ手長男大明神ト云。 一、神社帳ニ曰、「クエ」手長比売神社小、二十四座ノ内、宝殿拝殿定祭9月29日。 一、慶安2年再建棟札ニ曰、 奉造立本宮郷久栄村棚川大明神社壇一宇之事云々、当國所司代西郷右京亮下略 一、延宝4年6月国主鎮信公木鏡一面及石額ヲ献ゼラレ延喜式内社ト定メラル。 一、神社考ニ曰、本宮邑久榮山ノ神ノ所在ヲ「タナガウ」ト称シ定祭9月29日トセル小社ヲ以テ式ノ手長比売神社ト見做シ祭神ヲ、拷幡千々姫尊ナリトス「タナガウ」ハ籾種ヲ浸ス河ナリ、何ゾ手長姫ニ縁由アラムヤ中略式内ノ手長姫神社ハ勝本聖殿大明神ナラムカ(抄録)創立年月其ノ他不詳。 壹岐國神社誌 |