名居神社
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   【延喜式神名帳】名居神社 伊賀国 名張郡鎮座
   【延喜式神名帳】宇流富志弥神社 伊賀国 名張郡鎮座

   【現社名】名居神社
   【住所】三重県名張市下比奈知2092
       北緯34度37分17秒,東経136度7分36秒
   【祭神】大己貴命 (配祀)少彦名命 天児屋根命 市杵島姫命 事代主命 蛭子命
       『伊賀考』延佳『神名帳考証』伴信友『神名帳考証』『三重県神社誌』名張臣祖大彦命
       『名張市史』(中貞夫氏筆)"地震の神〃

   【例祭】 11月3日 例祭
   【社格】旧村社位
   【由緒】推古天皇7年(599)創立
       明治7年(1874)村社
       同39年12月神饌幣帛料供進指定神社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】地震
   【祭祀】江戸時代は「国津大明神」と称していた
   【社殿】本殿流造
       拝殿、宝殿、幣殿、手水舎、参籠舎二棟、社務所、神輿庫、祭器庫

   【境内社】

名張川と青蓮寺川とが合流する付近より上流約1.8Kmの山間部に位置し、下比奈知の集落の中央部に鎮座する。
名居神社の「ない」は地震を意味する古語。推古7年に大和地方を中心にした大地震があり、それ以降各地に地震の神がまつられた。伊賀地方では名居神社がそうであると考えられている。
推古天皇7年に四方に祭られたナヰノ神が社名として残るのは延喜神名式の中で本社のみである。
本社のことを直接伝える史料は、延喜式内小社に列せられたこと以外、皆無である。
『伊水温故』は式内名居神社を宇名根社=現宇流富志禰神社に比定するが、式内宇流富志爾神社はどこにも比定しない。


由緒

日本書記によれば推古7年に大和地方が中心の大地震があって諸国に自信の神が祭られた伊賀では当名居神社がそれであろうナイは地震の古語である江戸時代は国津大明神と稱し比奈知川上流に散在する国津神社の惣社であった。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




名居神社由緒書

鎮座地 三重県名張市下比奈知2092番地
「日本書記」によれば推古7年に大和地方が中心の大地震があって諸国に地震の神が祭られた伊賀では当名居神社がそれであろう「ナイ」は地震の古語である
江戸時代は国津大明神と稱し比奈知川上流に散在する国津神社の惣社であった
 祭神は
  大己貴命(おおなむちのみこと)
  少彦名命(すくなひこなのみこと)
  天兒屋根命(あめのこやねのみこと)
  市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)
  事代主命(ことしろぬしのみこと)
  蛭子命(ひるこのみこと)
明治41年には興玉神社及び境内社7社を合祀している
 例祭は 現在では11月3日である

社頭石碑



名居神社について

名居神社は、名張市下比奈知にあります。延喜式内社といって、今から1,080年前に書かれた本(『延喜式』の神名帳)にのっている、とても古い神社の一つです。名張市内では、宇流冨志禰神社と名居神社だけです。
「名居(ない)」とは、「地震」の昔つかわれたことばです。
今からおよそ1,500年前に、伊賀に大地震があった時に、全国に地震の神がまつられました。伊賀では、下比奈知が選ばれて、「ない」の神社として建てられたそうです。田植え歌も残っています。今から50年前まで、田植えの時に、歌われていたそうです。
名居神社の秋祭りは、11月3日です。子どもみこしや獅子舞も見ることができます。また、1月6日から7日にかけて、「かぎひき」という行事があります。1月15日には、『どんどやき』がおこなわれます。正月かざりやかきぞめ・わら・古いお札などを神社のけいだいで焼きます。

社頭掲示板



名居神社

名居は奈為と読り○祭神天児屋根命、武甕槌命、齋主命(伊水温故)○簗瀬郷平尾村に在す、宇名根社と號す、今春日社とも称す、例祭(欠く)
伊水温故云、神護景雲元年武雷命、此宮地にて、神遊在て、しばしば止りける勝地也、簗瀬(名張町也)平尾、南手、北手四所惣社也、

神社覈録



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