桂集落の西隅山麓に鎮座する。 明治41年5月に花垣村大字予野字花前の春日神社(現花垣神社)に合祀せられた。しかし合祀後も、境内林、社地、鳥居、社殿等がもとの通り残されており、祭祀も行われている。桂村集落の狭隆な道を下つた最も低い場所に鎮座する。 創祀等詳らかなことはわからない。その後の経緯も延喜式内小社に列せられた以外、本社の名が史料に現れることはない。 近世には乎美祢神の名は忘れさられ、もつぱら九頭明神として村の氏社となつていた。 三重県伊賀市桂宇江636・637 を旧地とする説があるが不詳。 |
社伝によれば、「儀式帳日ク、倭姫命大神宮鎭座ヲ神戸之郷二定メ給フ時、當神社ハ豊受姫命ノ由緒ヲ以奉齋、神饌供造ス、清水井戸明ラカニ有之、又白布ヲ献ス有リ、依テ麻続屋姫神トモ云、姫神ノ機殿也、機殿ヲ乎美禰ノ里ニ建給フ旧跡トモ判然也、(中略)又祭神ヲ玉柱屋姫命トモ称シ、天文10辛丑年11月28日当社地ヘ遷座ス」と傳ヘる。 |
乎美彌神社 乎美禰は仮字也○祭神素盞鳴尊○宇美禰村に在す、(伊水温故)例祭(欠く)〇残編風土記云、乎美禰里、有神號天王、所祭素盞鳴尊也、 伴信友云、当社の事、旧説すべて考なし、今思ふに、三代実録に、宇奈根神とあるにて、宇と乎と通はせ云る例也、宇佐支と乎佐芸、字介良と乎介羅の類也、又美と奈はいつれか誤れる也、乎奈禰とも宇奈根とも云つべし、又宇と乎とは書似たれば、誤りたるにもやあらん、三代實録宇奈根と二処まで、あれば、それ多きにつきて正しとすべきや、されば同神ならんとそ思ふ、とあるぞ然るべき、 神位 三代実録、貞観3年4月10日甲寅、授伊賀國正六位上宇奈根神從五位下、同15年9月27日己丑、授伊賀國従五位下宇奈根神從五位上、 連胤云、此叙位を或は宇流富志彌神社とし、或は式外社とす。今は信友か考に從ひて爰に戴す、 神社覈録 |