近鉄猪田道駅のそば、422号線と近鉄伊賀線に挟まれた田の中の森に鎮座する。 もとは高野川原にあったが、貞享4年を余り遡らない頃、長田川の洪水の爲に社頭を廃し、後に小泉太郎左衛門の霊を祀つていた諏訪の社に合祀された。明治に至り、社名を依名古神社と改め村社に列せられたが、明治42年4月に下郡村の猪田神社に合祀された。 小泉の諏訪社とは、当地の郷士小泉太郎左衙門が、天正13年(1585)に大和郡山から伊賀に転封されてきた筒井定次より所持の名刀を所望されたが、これを隠して要求に応えなかつたため斬殺された。ところが程なく定次の一男及び子女が病死、その外多くの者が身心を悩ましたので、太郎左衛門の怨霊を鎮祭するため造立したとされている。 実際には廃絶した社ではあるが、拝殿・鳥居等も残り、実質的には祭祀が行われている。土地の人々は、猪田神社の遥拝所として理解している。 大稻輿命とその子孫である伊賀臣の蕃居地が伊賀郡のこの地域辺に想定できること、そして伊賀臣がその祖大稻輿命を祀つたのが依那古神社の創祀にかかわるのではないか、と想像される。 |
依那古神社 伊賀郡依那具村字柳原に在り。天児屋根命及び健御名方命・宇迦御魂命を合祀す。 創建詳ならず。和銅3年6月 初めて圭田を加え祭を致す惣国風土記。 仁寿元年正六位上を授け延喜のとき小社に列す。後神階を進め永徳元年2月従二位を加ふ社記。 或は曰く、始め高野川原に在り、洪水の浸す所となり社殿従て廃滅に帰し、後此の地に転ず、明治に入って村社に列す 三重県神社誌 |
依那古神社 依那古は假宇也〇祭神昧鋤高彦根神○依那具南郷依那具村に在す、今江大明神と称す、(伊水温故) 例祭(欠く)○残編風土記云、依名古山、有神號江大明神、所祭味好高彦根命也、 伊水温故云、郷人高野社と號す、近年大破に及び、小泉霊社(郷人小泉氏某霊)につぼむ、悲しむべし、 神社覈録 |