木津川の南岸近く、川を見下ろす台地の上に鎮座する。延喜式内小社に列せられた以外、比々岐神社の名が記録文書に登場することはなく、早く比々岐神社の社号は失われた。 「大内上之庄村」の大内社(天神とも称す。明治41年猪田の猪田神社ヘ合祀)と北山の八幡宮(当社)が比定されている。 現在は社殿が一棟であるが、明治41年の合祀までは正面に北山八幡宮(現本殿の位置)、向つて左手の今の宝庫の位置に鹿島社と恵美須社が鎭座していた。 別当寺の宝珠院は境内に南接して現存している。 明治39年から40年代にかけて、村社六社、無格社六十社を合祀した。 |
由緒 当社は往古より現社地に鎮座し、創建年月は不祥といえども延喜式神明帳見在の古社にして、旧記・古書を按ずるに創建は大略大宝の頃と思料される。明治40年村内の諸社六十余社を合祀し鬱蒼たる社叢にいだかれ上津の里の総氏神として尊崇維持せられ現在に至る。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
比々岐神社 比々岐神社 延喜式内社 かつて上津八幡宮うえつはちまんぐうと呼ばれ、社領百二十石を有した。 天正伊賀の乱で、白龍(白蛇)が現われ、本殿は消失をまぬがれた伝承がある。 現在も当時の記憶をとどめる斧の傷がある。 伊賀 神社参拝案内図 |
比比岐神社 比此岐は仮字也○祭神少彦名命○大内上荘村に在す、今天神と称す(伊水温故)○残編風土記云、比々岐里、有神號比々岐明神、所祭少彦名命也、 類社 近江國伊香郡天比々岐命神社 神社覈録 |