来迎寺脇を山へ登った地に地に鎮座する。高土之宮比地神社と称している。 明治41年に神戸神社に合祀せられたが、合祀の時に軋轢があり、現在地に社殿を再建した。 境内に「延喜式内比地神社遺跡」の碑が建てられているとの事であったが碑は不明。 いま石碑が建てられている場所には、昭和30年までは小さな祠があつた、同年4月24日にその旧社地から北東ヘ約30m地点に社殿が建てられた。 比地神社の所在地は近世初頭には不明であつたが、明治34年に比土村字比地前に祠られてきた「高土明神」が延喜式内比地神社であると定められた。 |
比地神社 比地は假字也○祭神猿田彦大神○長田郷百田荘比自山に在す、今阿拝郡に属す、(伊水温故)例祭(欠く)○残編風土記云、和歌山、有神號比地明神、即猿田彦垂跡也、 類社 伊勢國多氣郡火地神社、但馬國出石郡比遅神社、 神社覈録 |