竜王嶽の南麓にあつて、服部川の北岸に鎮座している。 社伝によると、孝霊天皇3年、現地の東5Kmにある伊勢伊賀境の黒岩峯(655m)に顕現し、三船明神と相殿となっていた。 垂仁天皇33年、鮫ヶ原三女垣内に遷座し粟皇神淡護明神と称した。 神功皇后三韓征伐の後、高良命が勅命により、宮を三所に分け大国主神・事代主神を芦谷へ葦神社として祀り、天日方命・奇日方命を別府宮として祀り、市杵嶋姫命・田心姫神・湍津姫命を粟皇神として三女垣内に祀った。 承平7年(937)大地震で三社とも社殿破損のため、天暦3年(949)、現社地に三社を合祀し葦神社七王子淡護大明神と称した。 天和年中、葦神社八王子淡護大明神となり、宝暦年中、三所の旧号を合わせて、葦神社粟皇神別府宮と称した。 明治4年7月、村社に列し、葦神社と改称。 別当寺は大字猿野の慶正寺、上阿波の本願寺であつたが慶正寺は廃寺となつた。 |
葦神社 葦は阿志と訓べし○祭神在所等詳ならず 考証云、山田村植木天王乎、西山村木生社乎、 類社 参河國渥美郡阿志神社 神社覈録 |