鳥坂神社
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   【延喜式神名帳】鳥坂神社 伊賀国 山田郡鎮座

   【現社名】鳥坂神社
   【住所】三重県伊賀市甲野字石神 1301
       北緯34度46分34秒,東経136度13分29秒
   【祭神】武内宿禰 大日霊貴命 愛鬘命 彌都波能売命 彌五郎 大山祇神
        木花咲耶姫命 速玉之男命 大山咋神 健速須佐之男命
       『伊水温故』下照姫

   【例祭】4月15日 例大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】貞和2年(1346)の記録に社名あり
       天正9年(1581)織田勢の伊賀攻に兵火で焼失し現地に遷
       明治4年7月村社


   【関係氏族】
   【鎮座地】往古の社地はここより東約2kmの鳥坂山の麓
        天正9年(1581)織田勢の伊賀攻に兵火で焼失し現地に遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「烏坂明神」と称していた
   【社殿】本殿流造
       拝殿・神饌所・手水舎・社務所

   【境内社】

祭神大日靈命は生産神であり、若宮武内宿祢は村民祖神、勝手明神受鬘命は昔三津村源三郎の祖先がこの地を開拓したとき当地に合祀という。
集落西北の山麓に鎮座する。
往古の社地はここより東約2kmの鳥坂山の麓にあって(長峯752番地)甲野の水源に当つている。
古来当社の氏子は鶏卵を食べないという。


式内社鳥坂神社の所在については、四説がある。
甲 阿山郡大山田村大字平田の鳥坂神社。現植木神社
乙 阿山郡大山田付大宇出後の鳥坂神社。
丙 阿山郡大山田村大字甲野の鳥坂神社。
丁 阿山郡島ケ原村の鵜宮神社。
甲:明治40年7月に他の神社に合祀され、翌年、さらに合祀されて山田神社と称せられ、大山田村大字平田の植木神社の合殿となつた
乙:『特選神名牒』は乙社とする
明治7年に、教部省が、出後の鳥坂神社を式内社鳥坂神社と決した
明治41年3月、合祀されて山田神社となり、植木神社の合殿となつた。
丙:最も有力な説である
丁:出口延経の『神名帳考証』に「今云鵜宮天神か」とされている
ウサカとウノミヤとの音が似ているということであろうか。だが、島ケ原村は阿拝郡であつて山田郡ではないから、当らないであろう


鳥坂神社

創建の年代は不詳であるが本村(甲野)の東鳥坂山の麓に神明・若宮・勝手の三座を祀る古社があったという。
祭神は、武内宿彌たけしうちのすくね、大日霊貴命おおひるめむちのみこと、愛鬘命つけのりのみこと、彌都波能賣命みずはのめのみこt、健速須佐之男命たけはやすさのをのむこと、彌五郎やごろう、大山祇神おおやまづみのかみ、木花咲爺姫命このはなさくやひめのみこと、 速玉之男命はやたまのをのみこと、大山咋神おおやまくひのかみ、甲野区民の氏神、式内鳥坂神社とりさかじんじゃとして崇敬されている。

社頭掲示板



烏坂神社

鳥坂は宇左加と訓べし、(印本トサカどあるは、鳥の字に訛りて後の假字なるべし、)〇祭神下照姫、(温故)○烏坂村に在す(同上〇名所記云、所不知)例祭(欠く)○今阿拝郡に属す

神社覈録



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