真木山神社
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   【延喜式神名帳】真木山神社 伊賀国 阿拝郡鎮座
          (旧地)白石神社

   【現社名】真木山神社
   【住所】三重県伊賀市槙山3237
       北緯34度52分33秒,東経136度8分22秒
   【祭神】天児屋根命 経津主命 眞木山神
       (合祀)菅原道真 伊邪那岐命 応神天皇 大物主命 健速須佐之男命 武甕槌命
        大日靈貴命 蛭子命 火之迦具土命 天手力男命 大山祇命
       『三国地誌』『特選神名牒』経津主・武甕槌・天児屋根命
       

   【例祭】4月18日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】和銅3年(710)に圭田を献『惣国風土記』
       天正9年以降現地に遷座
       文政10年(1827)造替
       明治4年7月村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】古くは西3Kmの白石山の中腹字根組原に鎮座
        天正九年の伊賀の乱以降に現地に遷座

   【祭祀対象】岩
   【祭祀】江戸時代は「白石明神」と称していた
   【社殿】本殿八幡流造
       拝殿・神饌所・手水舎・絵馬殿・社務所・祭器庫・参籠舎・鐘楼

   【境内社】

古くは西3Kmの白石山の中腹字根組原にある白石神社の地といわれている。(北緯34度52分34秒,東経136度5分44秒)
天正九年の伊賀の乱以降に現地に遷座。
本殿裏に高さ三○尺余の巨石があり、神石といわれている。
毎年真木山神社の春祭り(4月18日)に能が奉納されている。
奈良の能師が京都から伊勢神宮へ向かう途中、槙山の里で腹痛を起こし、真木山神社に回復を祈ったところ治まったといわれ、以来、その能師が奉納したのにちなみ現在も続けられてる。
別当寺は、天台宗の光明山東福寺であつて、社務所西方の高地にあった。


由緒

本社は古くは真木山大明神又は白石明神と称し延喜式内伊賀二十五座の一座にして往古は白石山(根組原)に鎮座したが、天正の兵火に罹り焼失せり。創立は不祥なるも惣国風土記に「和銅三年庚戌奉圭田三十二束加神礼」と在るにより、和銅3年以前なること明瞭なり。其の後天正の末期現在の處に移遷創立された。
昭和54年11月22日浩宮徳仁親王殿下御参拝。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




能楽奉納

三重と滋賀の県境にほど近い伊賀市槙山に鎮座する真木山神社 (宮司 宮崎忠千代) では、 寶永年間より続く能楽が例年四月十八日の春季例祭に奉納されている。
 その由緒は古く、 寶永年間に大和国の能楽師が京都御所を拝し、 皇大神宮に参宮する道すがら、 京都から近江国信楽谷を経て、 伊賀国白石峠を越え、 この槙山郷にさしかかった時に急な腹痛に襲われた。
 道端で七転八倒の苦しみと闘っていると、 ふと目の前に本神社の鳥居が目に入った。 能楽師は無我夢中で手を合わせ、 一心不乱に 「大神様、 どうぞ私の願いをお聞き届け下さい。 この腹痛を取り除いて下さるならば、 必ずや例祭には能の奉納をさせて頂きます。」 と祈った。
 すると、 たちまち今までの腹痛は嘘のように消えてしまい、 能楽師は大神に幾度も御礼を述べ、 旅を続けたという。
 後にこの能楽師は日本最古の能楽の派 『金春こんぱる流』 の高名な能楽師で、 この時の約束を守り毎年例祭に能楽を奉納したと伝えられている。
 この能楽奉納は、 現在に至るまで連綿として続けられ、 本年も奈良市の金春流能楽師、 金春穂高氏等が境内にある茅葺の能舞台で神前に深々と礼をして 「翁」 などの仕舞を奉納した。
 県内はもとより京都、 奈良からも多くの参詣者で賑わい、 全国的にも有名な神事となっている。
 平成20年の 『真木山神社合祀百年祭』 に合わせ、 平成19年5月より本殿及び拝殿の改修事業に着手し、 平成20年11月に竣工した。
 祖先から守り続けてきた神事を大切に受け継ぎ、 氏神様をお守りするという強い信念が、 『能楽奉納』 という特殊神事を支えている。
 なお、 昭和54年には浩宮徳仁親王殿下がご参拝になられています。

三重県神社庁「みあかり」第17号



眞木山神社

眞木山は麻岐夜万と訓べし○祭神経津主命、武甕槌命、天児屋根命、○眞山村に在す、例祭(欠く)○残編風土記云、眞木山、有神號眞木山大明神、所祭経津主命、武甕槌命、天児屋根命也、
伊水温故云、昔白沼の傍にあり、天正兵乱に係る、文禄の比今の地に遷す、

神社覈録



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