佐々神社
ささじんじゃ 所在地ボタン 社名ボタン















   【延喜式神名帳】佐々神社 伊賀国 阿拝郡鎮座

   【現社名】佐々神社
   【住所】三重県伊賀市音羽618
       北緯34度49分40秒,東経136度7分46秒
   【祭神】八重事代主命
       (合祀)須佐之男命 倉稻魂命 大己貴命 金山彦命 大山祇命
       『神祇志料』阿部朝臣同租佐々貴君の祖神
       『三重縣神社誌』大彦命
       『伊水温故』事代主命

   【例祭】12月10日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】創祀の年代は明らかでない。
       持統天皇3年8月封田29束を奉る
       嘉祥3年(850)6月4日従五位下『文徳実録』
       貞観15年(873)9月27日從五位上『三代実録』
       永萬元年(1165)神祇官御年貢進社事(白川家文書)に社名あり
       文禄年中(1592−96)現地へ遷
       明治4年7月村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】古くは西4Km笹ケ岳(738.8m)にあり
        文禄年中(1592-96)現地へ遷

   【祭祀対象】
   【祭祀
   【社殿】本殿流造
       中門・拝殿・神饌所・社務所・参籠舎

   【境内社】

古くは西4Km笹ケ岳(738.8m)にあり、火災にあって後、文禄年中(1592-96)現地へ遷。
山裾の社。谷間にあり。集落より離れている。


佐々神社御由緒

佐々神社は延喜式内及び国史に記載されているので、他に類似社のない事が断定できる。創立の年代は不祥である。伊山故事考及び伊賀古代氏族考によれば往古近江国界篠嶽に鎮座していたのを文録年中に現在の地に遷すとある。
古代より祭祀であったことは疑う余地はない。総国風土記によれば持統天皇3年己己8月封田29束を奉るとなっているのを見ても、朝野の崇敬が厚かったことを知ることができる。主神八重事代主命は、我国正史上著名の神で、如何にその御功績の偉大かは記紀2典に明らかである。故に、本社は古来一般の尊敬高く特に授乳の霊験顕著であり遠近より産婦で母乳少ない人の参拝者は伊賀、大和、山城、近江等より参拝されている。
松尾某は当字の住人で文緑年間佐々神社を今の地に遷し奉仕したと言う。その昔、篠ケ嶽にあった頃より松尾某は信仰が厚かった。。松尾某の妻は分娩し男児を出産したが乳が出なく困ったので7日間篠ケ嶽へ籠もり一心不乱の祈願をし乳が出たと言う。誠に神のお告げと崇め、敬いその御神徳を感じたとある。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




佐々神社由緒

【延喜式神名帳】佐々神社 伊賀国阿拝郡鎮座
【現社名】佐々神社
【鎮座地】三重県伊賀市音羽618
【祭神】八重事代主命
    合祀須佐之男命 倉稲魂命 大己貴命 金山彦命 大山祇命
【例祭】12月10日 特殊神事 (このしろ)宗旨 探湯(くわたて)神事
【社格】明治4年村社昇格
【由緒】創祀の年代は明らかではない。
持統天皇3年(689)8月封田29束を奉る
嘉祥3年(850)6月4日従五位下授ける
文禄年中(1592〜96)現地へ遷宮する
古来一般の尊敬高く特に授乳の霊験顕著であり遠近より産婦で母乳少ない人の参拝者は伊賀、大和、山城、近江等より参拝されている。
松尾某は当字の住人で文禄年間佐々神社を今の地に遷し奉仕したと言う。
その昔篠ヶ嶽にあった頃より松尾某は信仰が厚かった。松尾某の妻は分娩し男児を出産したが乳が出なく困ったので七日間篠ヶ嶽へ籠り一心不乱の祈願をし乳が出たと言う。誠に神のお告げと崇め、敬いその御神徳を感じたとある。
12月10日の例祭には「このしろ」の馴れ鮨は佐々神社の祭礼に御供として膳分焼物の引物として祭禮の宗旨として実施されている神事である。

社頭石碑



佐佐神社

佐々は假字也○祭神事代主命、(伊水温故)○音羽村に在す、(同上)永万記佐々宮、○残編風土記云、篠嶽、有神號佐々大明神、
伊水温故云、往普近江境佐々嶽の麓に営居す、事代主命也、天正兵乱以後村の邊士に勧請す、」伊賀考云、在音羽村、往昔在篠岡、爲野火所焚、文禄年中当村松尾某迂今地、
神位
文徳実録、嘉祥3年6月庚戌、伊賀國佐々神授從五位下、三代実録、貞観15年9月27日己丑、授伊賀國從五位下佐々神從五位上、

神社覈録



伊賀国INDEXへ        TOPページへ



順悠社