国坂神社
くにさかじんじゃ 所在地 社名















   【現社名】国坂神社
   【住所】鳥取県東伯郡北栄町国坂1500
       北緯35度29分24秒、東経133度49分33秒
   【祭神】少彦名尊
       大穴牟遅神・少名彦那神・事代主命『特選神名牒』
       大己貴命『神祇志』
       大国主命『日本地理志料』
       彦坐王『神名帳考証』

   【例祭】10月15日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】創立年月不詳
       承和4年(837)2月従五位下
       齊衡3年(856)8月正五位下
       貞観9年(867)4月8日正五位上
       承暦4年(1080)6月10日社司が神事を穢したとして中祓
       大永年間(1521−28)茶臼山城主増田玄蕃再興
       元禄4年(1691)5月24日第四宮国坂の神社と称
       安永9年(1780)『久米郡神社帳』に「四宮大明神」
       明治元年郷社
       明治40年2月3日神饌幣帛料供進神社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「四宮明神」と称していた
   【社殿】本殿春日造檜皮葺
       幣殿・拝殿・参籠所・手水舎・神門

   【境内社】荒神社・八幡社・秋葉社

当社東の「御手洗池」と称する神池に群生するじゅん菜・河骨を煎用すれば、疫病・難病に神徳の霊験があるとする伝承がある。


由緒

一、祭神少彦名神。
一、例祭10月15日。
律令国家時代の最後の法典「延喜式」の神名帳に伯耆六座の四番目に「久米郡国坂神」と記載されている式内社で古い記録に次のように神階を授与されている。
承和4年(837)従五位下(続日本後記)。
斉衡3年(856)正五位下(文徳実録)。
貞観9年(867)正五位上(三代実録)。
この神階授与は因幡、伯耆両国を通して伯耆神(現波々木神社)大山神(現大神山神社)と共に最も古く神祇統制の面からも当地方で最重要視された神社であるといえる。
古来四宮大明神と尊称されてきたが明治維新の際國坂神社と改められ郷社に列せられて今日に至っている。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



国坂神社

國坂神社
創建837年以前
一.祭神少彦名神
一.例祭日10月15日
平安時代中期に集成された「延喜式」の神名帳、延長5(927)年の、伯耆六座の四番目に、「久米郡國坂神」と記載されている式内社で、古い記録をたどってみると、次のように神階を授与されている。
承和4(837)年
 従五位下(続日本後記・國坂神)
斎衡3(856)年
 正五位下(文徳実録・國坂神)
貞観9(867)年
 正五位上(三代実録・訓坂神)
この神階授与は伯耆国では、伯耆神(現波々伎神社)・大山神(現大神山神社)とともに最も古い。このことは、地方豪族を中央の統制下に置くための神祇統制策として当地方て最重要視された神社であるといえよう。
以後、四宮大明神と称し、この神社を奉護する領主や地方の人々に敬われてきた。そして、明治時代に「郷社」に列せられ、國坂神社(四宮さん)と呼ばれて今日に至つた。
なお、國坂神社社叢は平成12年1月北条町指定保護文化財に指定されている。
北栄町教育委員会
平成12年12月

社頭掲示板



國坂神社社叢

北栄町指定保護文化財第15号
國坂神社社叢
國坂神社境内には、有史以前より茶臼山に繁茂指定いた暖地性のスダジイ、カクレミノの群落が見られる。これらは西日本、四国、九州の沿岸地に広く分布する典型的な照葉樹林の社叢である。また、特に神社正面右側のスダジイ3本、左側のタブノキなどは承和4年(837)以前から、既に存在していたものとも推定され、その歴史の深さを実感させる。
さらに、モミ、タブノキ、クロマツの巨木が混交するこれらの森は、地域住民によって大切に守られてきた貴い遺産である。社叢の裏に広がるスダジイの純林は樹齢としては若いものの、樹勢とその広がりは、町民が将来にわたり緑の大切さを学ぶに価する自然である。
環境問題が問われる今、本社社叢はきわめて学術的価値が高いものである。
平成13年12月
北栄町教育委員会

社頭掲示板



國坂神社

創立年代不詳、仁明天皇承和4年2月從五位下を授けられ(績日本後記)文徳天皇齊衡3年8月正五位下を加へらる(文徳実録)清和天皇貞観9年4月正五位上に叙さる、延喜の制小社に列す、白河天皇承暦4年6月御トに國阪紳の祭を穢せる崇あるを以て社司に中祓を科せらる(朝野群載)古來四宮大明神と称し、武門武將の崇敬篤く、大永年間茶臼山の城主増田玄審當社再興の挙あり、明治維新の際国阪神社と改められ、郷社に列す、明治40年2月3日神饌幣帛料供進神社に指定せらる、当社の御祭神に就て大日本史に土人の説として大己貴命を祀ると云ひ日本地理志科も又大國主命を祀る乃ち其の裔の奉祀する所と記す、元禄7年著の伯耆六社みちの記には是はいかなる御神ぞといふに書て給はる少彦名尊にておはしましぬとなん記せり。
当社前方に面積約二反歩の神池あり、一面にジュンサイ河肯を生す、往昔地方に疫病流行し或は難病人ある時當社に祈願し此の水草を煎用する時は神徳の霊験ありて其の名遠近に高し、現今尚此の水草を苅取り毎年4月8日藥草祭典を行ひ参拝者に頒つ。

鳥取県神社誌



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