本殿の向つて左裏の山林内は磐境かと思われる三個の巨石が並び立ち、その前に二個の平石があり、祭祀遺蹟らしい趣きである。更にその上方には太閤祈念石という巨岩が屹立する。恐らくこの山林中が田島神の原初の鎭座地であろう。 |
田島神社 御祭神 当田島神社は田心姫尊、市杵島姫尊、湍津姫尊の田島三神を祭神とし、相殿に大山祇神、稚武王尊を配祀します。 御由緒 田島三神は遠い神代の昔に天照大御神が素盞嗚尊と剣玉の御誓にて御気吹の中よりお生れなさいました三柱の姫神で御出現になりました。 当社の御鎮座の年代を定めることは出来ませんが、全国的にも九州でも最も古い神社の一つとして知られています。当社への朝廷の御崇敬は特に篤く、奈良時代天平10年には、大伴古麻呂に詔命があって田島大明神の御神号をお贈りなされた。大同元年には神封十六戸を充てられ、正四位に列せられ中世以降は諸武将の崇敬も厚く、江戸時代に入ってからは唐津城主の祈願所となり、明治4年國幣中社に列格され、毎年勅使を派遣されていたが、戦後宗教法人となり別表神社に編入された。 御神徳 田島大神は、海陸交通安全、航海安全船舶守護、大漁満船、海運漁業者の崇敬が極めて厚く五穀豊穣、商売繁盛の祈願所となり、古来より大陸の要衝でもあり、遣唐使は航海安全を祈願し、古社として崇敬され現在に至っています。 社頭掲示板 |
佐用姫伝説 田島神社の末社に佐與姫神社があり、日本三代伝説のひとつ、松浦佐用姫が夫との別れを悲しんで石になったといわれる望夫石が祀られている。 佐用姫伝説 遠い昔のこと、松浦の藤原村の長者の娘 佐用姫と、朝鮮半島に渡る宣化天皇の命を受けて松浦にやってきた大伴狭手彦が恋に落ちた。しかし、狭手彦は朝鮮半島に渡る身。幸せは長くは続かなかった。やがて船出のとき、佐用姫は鏡山(唐津市)から領巾がちぎれんばかりに振りつづけ、やがて船を追って加部島にたどり着き、やがて泣き伏したまま石になったという伝説。この石を望夫石といって佐用姫神社社伝内に祀ってある。 社頭掲示板 |
田島神社 御祭神 田心姫尊 (たごりひめのみこと) 湍津姫尊 (たぎつひめのみこと) 市杵島姫尊 (いちきしまひめのみこと) 相 殿 大山祇神(おおやまつみのかみ) 稚武王 (わかたけのみこ) 御神徳 陸海交通安全 大漁満船 五穀豊穣 開運厄除け 由 緒 旧国幣中社であり、延喜式内社。当神社後鎮座の年代は詳らかでないが、肥前の国最古の神社である事は延喜式に見える。三女神を主祭神とし、相殿二神を配祀している。稚武王 (仲哀天皇の弟) の弟十城別王を祀る志志岐神社(長崎県平戸市)を下松浦明神と称するのに対し、当神社を上松浦明神という。古くは朝廷の崇敬を厚く受け、天平年間(729〜749)に稚武王を配祀した後、朝廷より大伴古麻呂が派遣され、田島大明神の御神号が贈られた。また、平安初期大同元年(806)に神戸十六戸をあてられ、大宰府管轄地域の主要神社であった。延喜式では、名神大社とされている。中世以降は武門の崇敬を受け、近世、唐津城主・土井氏は祈願所として、崇敬を捧げられた。明治4年5月、当神社は国幣中杜に列せられた。 三大祭 2月3日節分祭 7月最終土・日曜日夏越祭 9月16日例大祭 末 社 佐與姫神社(さよひめじんじゃ) 御祭神 松浦佐與姫尊 (まつうらさよひめのみこと) 御神徳 縁結び 夫婦円満 由 緒 羽衣、浦島と並ぶ日本三大伝説の松浦佐與姫を祀る。伝説によると佐與姫は田島神社の神前に詣でて夫の安泰を祈りながら泣き続け息絶えて神石(望夫石・ぽうふせき)になったとされている。その望夫石は現在当神社の本殿床下に祀ってある。文禄二年、豊臣秀吉は名護屋城在陣の折、姫島(加部島)の内百石の社領を朱印状でもって寄進している。この社領は徳川政権以降も寄進され続けた。 末 社 御崎神社(みさきじんじゃ) 御祭神 級長津彦神(しなつひこのかみ) 級長津姫神(しなつひめのかみ) 猿田彦神(さるたひこのかみ) 御神徳 海上安全 旅行安全 由 緒 文禄時代、豊臣秀吉の帆船「小鷹丸」で七度の朝鮮へ航海往復を為し得たことから、船霊の守護神として祀られている。その後小鷹丸は当神社へ奉納され、解体された後、船材の一部は現在社庫に保管されている。 田島神社年中行事 歳旦祭 (1月1日) 節分祭 (2月3日) 春祈祷 (4月1日〜3日) 厄祓祈願祭 (4月第二日曜日) 夏越祭 (7月29・30日) 例祭 (9月16日) 新嘗祭 (11月23日) 除夜祭・大祓 (12月31日) 由緒書 |