社伝によれば、欽明天皇の御宇。村人が、一つの成長する石を発見し祀ったのが当社のはじめとする。 本殿は霊石の上に建てられたといわれている。 |
主石神社 鎮座地 鉾田町大字大和田字明神山1027 祭 神 大山祇神 由 緒 創建年代 不詳 貞観3年(861)9月13日従五位上を授けられる。(三代実録) 嘉祥3年(1108)6月 官社に列す 延喜式神名帳 小社に列す 常陸国二十八社の一 社伝 「上古里人一拳石を土中より拾う。その石、成長して止まず。神の宿り給うものと畏み、これを浄地に置く。祈るに験あり。石の上に社を建て主石大明神と崇める。その石、今も成長し、社の縁板を折掲し板を削り対処した。」 明治6年4月 村社 大正6年 供進指定 昭和27年7月18日 宗教法人成立 「主石神社由来記」に愛媛県大三島町旧国幣大社(現別表神社)大山祇神社の末社とある。 主石神社は古くより存在しており、その後、御祭神、神石から大山祇神社との関連が生じたものと考えられる。 当社の本殿は天正年間(1573〜1591)の建築との伝えがあるが記録はない。しかし、その時代の様相を各所に示し、全体に簡素であることもその特徴である。 化粧垂木は「反り増し」の技法で先端部を反らせ断面を大きくしている。 横羽目板に縦挽き鋸の跡があり、柱の溝に入れる部を丸刃手斧で削るなど工具の歴史、伝播の状況を知る上で大切である。向拝柱の大面取りや、丸柱に製作の過程を残し、正面上部の彫り物も広く、浅く時代相を見せ、三間柱流れ造りに珍しく店棚造りにするなど建築史の上からも貴重な存在である。 昭和62年4月1日建築物として町指定文化財となる。 鉾田市・鉾田市観光協会 社頭掲示板 |
主石神社 當社記云、古老傳日、人皇計代金刺宮天皇(○欽明天皇)ノ御宇、村内二小石アリ、宿夕而太ク高四五尺許。石上二光ヲ放テ、或夜老翁出現シテ日ク、吾ハ是大山祇神、諸民ノ愁ヲ護ン爲、此里二來現スト。光トトモニ消玉フ。時ノ人等皆以テ神ト崇ム。因テ石上二祠ヲ加へ、號テ主石大明神ト云、今以テ神霊トス。是当社草創ノ因由ナリ。 社記 |
主石神社 主石は奴之志と訓べし○祭神大山祇命(地名記、鎮座)、〇大和田村に在す、(同上)今鹿島郡に属す、(鎮座)例祭 月日 鎭坐云、土人伝云、昔有一小石、宿夕而大高四五尺計、皆以爲神、因加祠其上、號曰主石大明神、今尚是神霊と云り、 神社覈録 |