京都・梅宮大社から分霊を勧請した国内唯一の胎内安全の神。 八幡太郎義家が奥州征伐の途上、御内室の為に胎内安全安産を祈願し、嫡男出産の日を祭日と定めらた。 式内夷針神社に比定する説がある、また式内羽梨山神社に比定する説がある。 |
由緒 胎安神社は木花咲耶姫を祭神とする山城国梅宮神宮の御分霊を奉遷した国内唯一の霊験あらたかな神社で、胎内安全の神、安産子育の神、美を招く神、子に恵まれる神、良縁を得る神、子孫長久繁栄の神、御婦人一生の運命を定める神として尊祟されて居ります。彼の八幡太郎義家が奥州征伐の途上、御内室の為に胎内安全安産を祈願され、御嫡男出産の日を祭日と定められて、御参拝されました外、笹林棠の紋章を用ふる事を許されました。又、旧領主本堂公は祖先以来御内室御妊娠の時は代参を立てるの外、年々例祭日には必ず参拝され、その子女の麗はしい成長を祈念されました。 今なほ「胎安講」「児安講」として各地で婦人集会が盛に行はれ、その信仰の根元となつて居る事もうなづける事と信じます。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
胎安神社 胎内安全・安産育子 胎安神社 茨城県新治郡千代田町西野寺434 TEL&FAX 0299(22)5398 胎内安全 安産育子 胎 安 神 社 胎安神社は木花策咲耶姫を祭神とする山城国梅宮神宮の御分霊を奉遷した国内唯一の霊験あらたかな神社で、胎内安全の神、安産育子の神、美を招く神、子に恵まれる神、良縁を得る神、子孫長久繁栄の神、御婦人一生の運命を定める神として尊崇されて居ります。 彼の八幡太郎義家が奥州征伐の途上、御内室の為に胎内安全を祈願され、御嫡男出産の日を祭日と定められて、御参拝されました外、笹林衝棠の紋章を用ふる事を許されました。 又、旧領主本堂公は祖先以来御内室御姙娠の時は代参を立てるの外、年々例祭日には必ず参拝され、その子女の麗はしい成長を祈念されました。 今なほ「胎安講」「児安講」として各地で婦人集会が盛に行はれ、その信仰の根元となつて居る事もうなづける事と信じます。 祭神 木花咲耶姫命 経津主命(配祀)大山祗命 彦火瓊々杵命・彦火々出見尊 由緒沿革 神体 鏡(藤政重作)。創建は天平宝宇6年(763年)9月。社伝によると初め経津主命を祀り、相殿に山城國葛野郡梅宮神社(酒解神)の分霊として胎安の神を祀る。 天喜2年(1055年)鎭守府将軍陸奥守源頼義父子、奥州征討の砌、隣村詩下雫村(下志筑)に在陣中、たまたま当社の胎内安全・安産育子・子授け守護の霊験著大であることを聞き、都にある内室の懐胎を遥想され、神主小貫友網を召し、安産祈祷を命じた。康平6年(1064年)大任遂行の帰路当社に報賽、その後良義家の嫡男誕生の9月9日を記念して祭日に定めたという。尚この時以来「笹竜胆」(ささりんどう)の紋章使用を義家から許された。領主本堂氏代々当社を尊崇、内室懐胎の折は代参をたて、年3度の参拝があった。また奉額やその他の寄進が度々あった。文化13年10月14日(土浦藩)土屋相模守、天保3年6月松平播摩守、それぞれ御内室の安産祈願。姫君安産の報賽があった。神徳は四方に響き「胎安講」「子安講」の講中多く、太々神楽の奉納で賑う。又当社を式内社「夷針神社」とする説があり、「にいばり」の地名もそれに因るものと見られる。天文4年(1536年)11月本殿改築(棟札)享保18年(1734年)本殿遷宮(現本殿記載あり)。元禄8年4月、享和3年12月各遷宮(棟札が現存する)。明治6年村社に列し、明治22年社殿屋根銅板葺替。明治45年7月29日(大412号)供進指定。昭和27年8月22日宗教法人設立。昭和31年2月8日香取神社を胎安神社と改称。「裁許状」大宮司家称号。卜部家許状 元禄12年10月3日。宝暦10年2月21日。天明5年正月16日。安政4年2月11日・文政5年3月24日、以上各通小貫家所蔵。 当社の祭日 1月 1日 元旦祭 2月 節分 2月17日 祈年祭 3月 3日/4日 例祭 4月 3日 神武天皇祭 6月30日 夏越大祓(水無月祓) 10月15日 秋祭 11月15日 七五三祭 11月23日 新嘗祭 12月31日 師走大祓 臨時祭 初宮詣、七五三祭、虫除、 安産、子授け祈願祭、 *縞 篠 胎安神社内山林に簇生す、当社紋章「笹りんどう」を用うる許しのあった時代よりあるもので、今もなお益々繁殖し、子孫の繁栄と長久を表象して居ります。 長寿不老の杉 胎安神社の殿前に有り、此の杉皮の一片を衣服に縫入着用すれば長寿を保ち、常に溌剌たる元気を続けられると言い伝えられて居ります。 子 持 ち 松 胎安神社境内にあり、その昔霊験を歌いましたものに「月々に子持の松をいだきなば 子なき婦人も子持つと知れ」とあり、子なく淋しく暮らした方々も、今は月々に「御礼詣り」として参詣し希望豊かな平和な生活を続けられる人達が多くあります。 公式HP |
ご神木(子持ち松) 神社の歴史と共に成長してきたご神木ですが、今から百数十年前(明治時代)に、惜しくも枯れてしまいました(当時樹齢500年)。 「石(子)を抱いた珍しい松」ですが、その後も、ご利益(りやく)に、あやかるために、お参りに来られる方が続いています。 本殿東側にあり、その霊験か5「月々に子持ちの松をいだきなば、子なき婦人も子持つとしれ」という歌も伝えられています。 子がなく淋しい思いをした方も今は、希望がかなって、平和な生活を続けられている人たちが「お礼参り」として参詣しております、 社務所 社頭掲示板 |