祭神はかまどの神。聖武神亀2年9月29日創建という。平地に鎮座する。応永33(1426)水戸城落城の時兵火を避け、武熊大明神を大戸の夷針神社に合祀する。 |
夷針武熊大明神 縁起 夷針武熊大明神 縁起 延喜式、大日本3132座の宮社、当国二八社なる夷針神社は大戸(村)に鎮座し小社なり。 当時那珂の里なりしも時代の変革に伴い、茨城の里に彊を更う。 奉安せる祭神は興津日子命・興津比売命の二柱にして、人皇第45代、聖武帝神亀2年乙丑9月29日(西725)の創建なり。 夷針の神は所謂竈の神にして霊験あらたかに業厚招福、守護安体を司どる神なり。 由りて古くより、庶民の信仰を集む。 抑々平氏の曩祖、高望王常陸太守に任じ国□を常陸国の平邑に建つ則ち後の府中なり。 爾来常陸大掾をして国政を俾監せ俾む。 后来大掾の子孫連綿、而して馬場城より水城にうつり、住みて数代。 時恰も応永33年(1426)奥鎮守将軍藤原秀郷12代の後裔江戸但馬守通房満幹、の出城を窺ひて而して虚に乗じ之攻、終に水戸城を獲、満幹落城の日。 大掾氏家臣、鯉渕城主、根小屋伊勢守武□を兵災より大戸に避け夷針の宮に神霊安□□事己んで併せ祀り今に至ると、云爾。 由緒縁起次第、伴の如きなり。 昭和60年乙丑11月吉日 撰文 打越敬道 社頭掲示板 |
大戸のサクラ 大戸のサクラは、赤芽のヤマザクラの老大株で、樹齢約500年を数える。 現在の根元周囲約10.4m、高さ約15mであるが、大正時代ごろには、約1,000m2(300坪)の範囲に枝をひろげていたという。 鼻は白色で直径約3cm。花期は4月20日ごろである。 水戸黄門として知られている徳川光圀公が、このサクラを鑑賞したと伝えている。 社頭掲示板 |
夷針神社 夷針は伊自牟と訓べし、(印本イハリの仮字はわろし)和名鈔、(郷名部)夷針、(今国人ヒナハリと唱ふ)○祭神詳ならず○在所分明ならず 地名記に、大戸邑、(参考同じ)祭神奥津彦命、奥津姫命鎮坐に、今廃不知其所、或大戸村不詳と云り、」中山信名云、今和泉村愛宕社あり、俗和泉のあたごと云、大戸村なるは後世の所爲也、未孰れかしらず、 神社覈録 |