佐志能神社
さしのじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】佐志能神社 常陸国 新治郡鎮座
   【延喜式神名帳】羽梨山神社 常陸国 茨城郡鎮座

   【現社名】佐志能神社
   【住所】茨城県石岡市染谷 1856
       北緯36度12分52秒,東経140度14分15秒
   【祭神】豊城入彦命 高おかみ神
   【例祭】4月19日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】承和4(837)創建
       仁和元年(885)9月7日従五位上『三代実録』
       明治29年4月1日郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】元来は龍神山上に祀られた神社であつたかと思われる

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「龍神宮」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

承和4(837)仁明天皇のとき創建。豊城入彦の母(紀国造の女)勅命を奉じて東国鎮定の大功をたてた。その子孫東国の国造となるもの多し。
玄孫忘田別命の子佐白公新治国造となって祖神を鎮祭。佐志能は佐白の訛。
古く、龍神山の麓に鎮座している事から、「龍神社」と称されていた。
『神祇志料』では村上・染谷の龍神社を村上神社に擬し、それが同時に羽梨山神社であつたと推定している。


由緒

神体、幣。竜神山に鎮座。仁明帝承和4年3月戌子常陸国新治郡佐志能神宮社に預る。光孝帝仁和元年9月7日従五位下村上神社従五位上(位田十二町)延喜式内小社。祭神豊城入彦命は崇神帝の皇子、御母は紀国造荒河戸部の女、遠津年魚眼妙媛命。勅名を奉じ、大功をたてたことにより、子孫に東国の国造に任じられるものが多かった。玄孫荒田別命の子孫佐白公が新治国造に任ぜられたとき、祖神を鎮斎した。(佐志能は佐白の転訛)高オカミ神は軻遇突智神の御子で、暗オカミ神と同胞、両部で竜神と称し雨の神。昔村上村であったので叙位の策命に村上神社としてある。その後分村して染谷村が出来た。村上神社が染谷村の地域に入ったので、村上村では別に一社を創立し、日本武尊と暗オカミ神を鎮斎した。文久2年社殿炎上、その後再建。明治29年4月1日郷社に別格。同43年10月町内無格社御嶽、同境内社八海山、三笠山、道祖、金刀比羅各神社を合併。大正元年12月町内無格社鷲宮、同3年12月志筑村高倉村社鹿島神社を合併。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




染谷佐志能神社

所在地 石岡市大字染谷字峠1857番地の2
 佐志能神社は、染谷佐志能神社と村上佐志能神社の二社があり、ともに 龍神山の龍神(雨の神)をまつっている。染谷が高おかみ神(雌龍)、 村上が闇?神(雄神)である。二社とも創建年代は明らかではないが、農耕に不可 欠な「雨の神」をまつることもあって、古くから付近の村人たちの信仰を 集めた。
 染谷佐志能神社の本殿左手の屏風岩には、「風神の穴」と呼ばれる穴があ る。この穴に指を入れると、雷鳴がなるまで抜けなくなってしまうという 伝説があり、夏になると、ここから黒雲がまき起こって雷神が現れ、雨を 降らせるという。
 毎年、4月19日には例祭があり、この時奉納される「染谷十二座神楽」 は、四百年の歴史をもつと伝えられ、現在まで残っている数少ない「里神 楽」のひとつとして、市指定有形民俗文化財となっている。
市指定文化財(昭和56年11月25日指定) 染谷十二座神楽(有形民俗)

社頭掲示板



佐志能神社

佐志能は假字也○祭神佐自努公祖歟○高友村に在す、(地名記、鎮座)、例祭月日、〇姓氏録、(未定雑姓河内國)
佐自努公、豊城入彦命之後者、不見、
式社考云、在染谷村、(参考同じ)今地名記、鎮坐等に從ふ、
官社
続日本後紀、承和4年3月戊子、常陸國新治郡佐志能神預官社、以此之中特有霊験也、

神社覈録



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