当社の西に隣接する前方後方墳丸山古墳は、伝説によれば豊城入彦命の墓で、当社はその慰霊のために建てられた社で、社殿は藤原藤房の奉献という |
史蹟・丸山古墳と佐志能神社 高友の丸山丘陵の中央の丸山古墳と佐志能神社は、大和朝廷の東国討伐に大きな業績を残された第十代崇神天皇第一皇子豊城入彦命の奥津城であり、命を奉斎した杜として、古くから崇敬され顕彰保存されてきた。 昭和27年丸山古墳の性格を学宝術的に究明する必要から、明治大学の後藤守一教授指導の下、高友部落民の十日間の協力奉仕による発掘調査の結果、前方後円墳(長55m、高7.0m)で、後方部中央からは、ご遣体を納めた粘土棺が発見され、内行花文鏡をはじめ、鋼鏃、勾玉、管玉、小玉、鉄刀鉄剣等多数の遺品が副葬されていた。 古墳の築造は、四世紀末から五世紀初頭の頃と推定され、東国地方に於ける貴重な古墳であることが明らかにされた。(昭和27・12・18県指定〉 佐白塚古墳、二子塚古墳等のゆかりの古墳約三十墓を丸山古墳群と称す。 副葬品は八郷地域内の出土品と共に神岡考古博物館に保管、一般にに展示公開されている。 昭和55年 丸山古墳保存会 県文化財保護協会 社頭掲示板 |