有賀神社
ありがじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】藤内神社 常陸国 那賀郡鎮座

   【現社名】有賀神社
   【住所】茨城県水戸市有賀町1028
       北緯36度23分18秒,東経140度21分26秒
   【祭神】武甕槌命 經津主命 (配祀)少彦名命
   【例祭】11月11日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】貞観元年(859)那珂国造建借間命によって創祀
       天正18年(1590)兵火、後当地へ遷座し鹿島明神と称
       明治15年有賀神社と改称

   【関係氏族】
   【鎮座地】

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「鹿島明神」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

『茨城県神社誌』によると、当社は藤内神社と称していた。
「内原の歴史」昭和48年発行(非売品)によると、藤内に遷座する前に塚原という場所にあったとされ、藤内に遷座した後に藤内神社と改称とある。


有賀神社の磯渡御

古くから「虫切り」で利益があると知られる有賀神社の秋の例大祭です。かつては旧暦の9月25日に行われていましたが、現在では毎年11月11日に執り行われています。有賀神社から「大鉾」を捧持した行列がお供えを持参し練り歩き、大洗磯前神社から魚類を贈答されます。神事は、出雲下りの古例により行われるもので歴史も古く、社伝によると大同2年(807)に始まったとされていますが、確認できる史料では天正2年(1547年)9月25日と記されています。

水戸市教育委員会



有賀神社改築記念碑

当神社は 武甕槌命 経津主命を祭神として奉祀する神社なり 人皇56代清和天皇の御代藤内の地に鎮齋し 藤内神社と称す 天正18年兵火により焼失 翌年現在地に奉遷し社号を鹿島明神と改む 明治6年青大神社と合併村社に列す 更に 明治10年社号を有賀神社と改む 古来 虫切りの霊験あらたかにして広く信仰さる 特殊神事に六百余年連綿として受け継がれたる特茅出社あり 即ち 11日氏子役員供奉し 道中法螺貝を吹き鳴らしつゝ 大洗磯前神社へ渡御す 沿道に愛児の健康を祈る人々これを奉迎す 氏子は 代々広大無窮の神恩を感謝し 敬神篤志幾多の事績を残す 特に 今上天皇陛下御在位五十年を祝い 茲に社殿の改築を計画す 氏子心を一つにして資金を献ず 加えて有賀土地改良工事余剰地壱百余坪を処分せし代金の奉納あり 総事業費壱千弐百七拾万円により 昭和51年拝殿 銅2年本殿の改築工事を終える 依って 是を記念し碑を建つ
昭和52年10月吉日 氏子中建之 宮司 曽川重光 撰之

社頭石碑






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