藤内神社
ふじうちじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】藤内神社 常陸国 那賀郡鎮座

   【現社名】藤内神社
   【住所】茨城県水戸市藤井町874
       北緯36度26分44秒,東経140度24分7秒
   【祭神】経津主命
   【例祭】4月10日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】養老5年(721)4月創祀
       嘉祥年中(848-51)神託によつて香取神宮の神を移したともいう
       康平5年(1062)源義家が征奥の途次朝敵退治を祈願
       永正4年(1507)造営
       大永年中(1521-28)兵火焼失
       寛永5年(1628)造営
       元緑年中(1688-1704)水戸光圀社殿が改築
       明治5年4月に村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「藤内大明神」と称していた
   【社殿】本殿流造銅板葺
       幣殿・拝殿・社務所

   【境内社】稲荷神社・金比羅神社・若宮八幡宮・素鵞神社・天満宮
       淡島神社・鷺森神社・水門神社


社伝によると、西5Kmほどにある朝望山が祭神・経津主命の神山であり、養老5年4月12日、朝望山の峰に霊光が輝き、その光が、当地・藤内の地に下りて来た。
人々は驚き恐れ、6月15日に社殿を建立し、創祀したという。
一説には、嘉祥年中に、神託により香取神宮の神を勧請したともいう。


藤内神社

藤内神社の茅の輪くぐりは寛政12年(1800)に始まり、一年も欠かさず行われてきた。そのため地区内に疫病などがはやることがなかったという。茅の輪くぐりは、毎年6月30日の大祓(夏越の祓)の日に、氏子たちがちがやで作った輪をくぐり、無病息災を祈る神事である。この神事は各地の神社で行なわれているが、藤内神社はその歴史が古い。

社頭石碑



藤内神社

養老5年(721)6月創立。
 当社の遥か西方にそびえる朝望山は磐筒男、磐筒女の神の御子経津主命の神山と伝う。養老5年4月12日の暁、朝望の峰に霊光が輝き、その光が藤内郷を指して降りこのところにとどまった。人々驚き恐れ、謹んで同年6月15日社殿を竣功させ鎮斎した(祝詞)。
 仁和元年(885)5月22日官社に列し、延書式内小社、常陸28社の一つ。
 康平5年(1062)源義家征奥の途次、当社戊亥の峰に十万の勢を集め当社に武運長久を祈願し社前の藤の枝を申し受けて鞭とし勇気凄々進軍した。兵を集めたところを十万原という。
 大永年中(1521〜28)出火し社殿神宝焼失。乱世で社殿再建できず百余年を経て、寛永5年(1628)宍戸城主秋田河内守が造営した。(棟札)
また元禄年中(1688〜1704)、水戸藩主徳川光圀公の命で改築した。
 藤内大明神と尊称。奉務祀職42人を数え、正保年中でも15人が奉職していた。
 明治5年4月 村社に列格

茨城県神社庁



藤内神社

藤内(ふじうち)神社 延喜式内小社
祭神 経津主命(ふつぬしのみこと)
神徳
国譲り及び東国開発で有名な神で武道の神様、商売繁盛、企業隆昌、必勝祈願、身体健全のご利益が有名である。
由緒
養老5年6月創立(721)
当社の遙か西方にそびえる朝望(房)山は磐筒男、磐筒女の神の御子経津主命の神山と伝う。養老5年4月12日の暁、朝望(房)山の峰に霊光が輝き、その光が藤内郷を指して降りこのところにとどまった。人々驚き恐れ、謹んで同年6月15日社殿を竣功させ鎮斎した(祝詞)。
社格
仁和元年5月22日(885)官社に列し、延喜式内小社、常陸二十八社の一つ。明治5年村社に列格。
祭祀
祈年祭 1月7日 節分祭 2月3日 薬神祭 2月8日
春例祭 4月10日 御田植祭 6月14日 夏越祭 旧6月30日
新嘗祭 11月23日 薬神祭 12月8日 終年祭 12月31日
夏越大祓の(輪くぐり祭)は当社の重儀で寛政12年6月晦日(1800)をはじめとする。
当時四方に伝染病が猛烈に蔓延し、氏子が非常に苦しんだので、茅輪を作りこの神事を行ったところ御神威を発揮し氏子の病難を済徐されたという。
この地方の神社では最も早く行われた由緒ある祭である。
社歴
康平5年(1062)源義家征奥の途次、当社戌亥の峰に十万の勢を集め当社に武運長久を祈願し社前の藤の枝を申し受けて鞭とし勇気凛々進軍した。兵を集めたところを十万原という。
大永年中(1521〜28)出火し社殿神宝焼失。乱世で社殿再建できず百余年を経て、寛永5年(1628)宍戸城主秋田河内守が造営した。(棟札)
後元禄年中(1688〜1704)、水戸藩主徳川光圀公命で改築した。
藤内大明神と尊称。奉務祀職42人を数え、正保年中(1644〜1647)でも15人が奉職していた。
神木
藤の木、神池のおお欅に藤が絡まり、この藤は村名の起因ともなっている。

社頭石碑



藤内神社

藤内は布智宇知と訓べし〇祭神経津主命(地名記、鎮座)〇那賀荘藤井村に在す、今茨城郡に属す、(同上)例祭月日、
常陸國誌云、今不知所在、」鎮坐に、藤下有井、清冷可愛と云り

神社覈録



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