青山小学校北東 和歌山県の伊太祁曾神社の祭神である五十猛神を、神託によつて宝亀3年(772)勧請。 中世社名は八幡宮・鹿島明神などと誤り称されたこともあつた。 「アジサイの杜」とも呼ばれ、季節には紫陽花が参道に咲き並ぶ。 |
由緒 宝亀3年9月29日創建。貞観2年2月従五位下、仁和2年12月29日従五位上(位田十二町)延喜式内、小社に列し常陸二十八社の一座となった。延宝4年10月社殿神庫炎上し重宝古記一切を焼失。故に由緒不明となって社号も八幡宮とか、鹿島明神と誤られてをつたのを元禄9年11月2日水戸藩主光圀公命によって、往古の青山神社に復した。圭田一石八斗三合。斉昭公更に五石七斗四升五合を加増。明治45年3月28日村社に列格。大正元年11月28日(第一九四号)供進指定。昭和5年拝殿屋根トタン葺替。同27年9月3日宗教法人設立。 植林の神として崇敬され、木国の大神又有功神(いさをしのかみ)と称へられ、神威赫灼神域参道老杉うつ蒼とふさはしく周辺に古墳が多い。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
青山神社 一、 御祭神。 五十猛命(いそたけるのみこと)を祭る。 二、 由緒沿革。 五十猛命は、素盞嗚尊(すさのをのみこと)の御子でまたの名を大屋彦命といい、御母は、大夜之神である。五十猛命は、父君に従って新羅の国(韓国)に渡り、杉、桧、樟等の八十木種を播種された後、その樹種を持ち帰り、築紫(九州)の島より、広く大八州の国々に播種された。山林はうっそうと茂り、貴重な用材となった。爾来、五十猛命は有功神と申して、森林育成保護の神として祭ってきた。青山という社名も地名も、御神徳より出たものと伝えられている。 青山神社については、宝亀3年9月29日(光仁天皇、皇紀1432年、西紀772年)御遷宮説と御創建説とがある。貞観2年、従五位下、仁和2年、従五位上、位田十二町を授かった。醍醐天皇、延喜中、延喜式内小社に列し、常陸二十八社の一座となった。霊元天皇、延宝4年10月、社殿、神倉炎上し、重宝古記一切を焼失し、由緒不明となる。 中世、誤りて、若宮八幡と称し、又鹿島明神とも申された。 元禄9年11月2日、水戸藩主光圀公は当社の事蹟をただして往古に復し、青山神社と改められた。 尚、水戸藩主は、青山神社に、米一石八斗三合を供せられたが、徳川斉昭公は、更に五石七斗五升五合に加増された。 明治45年3月28日、村社に列各。 大正元年11月28日、供進指定(第一九四号) 昭和5年9月3日、宗教法人設立。 三、 神宝 (一) 埴輪女子頭部、元禄年間、社殿再建の際、本殿地より発掘した奉納品である。 (二) 天狗面、秋季大祭の時、御輿と天狗面を出して、祭礼する宝物である。 (三) 大弓一張。徳川斉昭公奉納品である。 大弓には「諸矢正鵠、反諸求其身」という銘がある。その大弓は、盗難にあったため、昭和53年2月11日、栗林三次郎氏が大弓の模造品を復元し、銘を所常蔵先生が書かれて奉納した。埴輪女子頭部と天狗面は、昭和54年1月より、氏子一同合意のもと、盗難をさけるため、茨城県歴史館に寄託した。 四、 施設 (一) 御鎮座神殿(本殿)は、常北町上青山229番地に、慶応2年御造営、南向の神明造り、銅板葺 (二) 拝殿は、入母屋造千鳥破風トタン葺(赤) (三) 大鳥居、昭和50年12月吉日、杉材を人造御影石造りに再建(経費340万円也) (四) 境内面 4,940平方メートル (五) 社有林面積 20,423平方メートル 五、 祭祀 元旦祭 (一月一日) 祈年祭 (二月二十日) 春季例祭 (三月二十八日) 嵐消除祈願祭 (四月十五日) 田植祭 (六月十四日) 秋季例祭 (旧九月二十九日) 新嘗祭 (十一月二十三日) 社頭掲示板 |
延喜式内 青山神社 祭神 五十猛命 祭神は素盞鳴尊の御子で林緑化の神。 由緒 宝亀3(772)年9月29日創建。(遷宮説もあり) 延喜式内社に烈す(927年以前) 延宝4(1676)年火災のため重宝古記を焼失。 例祭 春・3月28日。 秋・旧暦9月29日。 特殊祭神 高祓。昭和40年まで行われた。 上青山古墳群 東西約400m、南北約150mの範囲に十数基の円墳(方墳二基)が散在する。 高さ1m内外の小形な郡集墳で古墳時代後期のものである。 社頭掲示板 |
延喜式内 青山神社 祭神 五十猛命、命ば森林育成保護の神で、青山という社名も地名も御神徳より出たものと思われる。 由緒 光仁天皇宝亀3年9月29日創立(西紀772年)醍醐天皇延喜中延喜式内社となる。霊元天皇と孝明天皇の代罹災、現在は慶応2年、の御造営。中世、「若宮八幡又は鹿島明神と称されたが、水戸義公これを正して青山神社の古名に復す。 社頭掲示板 |
青山神社 青山は安哀夜萬と訓べし○祭神五十猛命(地名記、鎮座)〇青山村に在す、今茨城郡に属す、(同上)例祭 月日、 社領 当代御朱印高八十石 神社覈録 |