社伝によると、第10代崇神天皇の御世に、皇子・豊城入彦命の命を奉じて建借馬命が当地に至った。そして長者山に館を構え、北東の当地に神社を建てて天照大神を祀ったのが創祀という。 宮司と面談。祭神は伝承としては天照大神という。現地は3回目の遷という。現地に700年以前はこの山の下。東北3社(鹿島・香取・しず)の元宮である。宮司は豊城入彦の補佐として九州(佐賀)より呼び出された。台地の上の社。叢林深い。 建借馬命は、崇神天皇の御代、夷賊を退治した功績により、那珂国国造となった。 |
大井神社 鎮座地 茨城県水戸市飯富町3475 祭神 建借馬命 配祀 木花開耶姫命 祭祀 元旦祭 大扉開 1月7日 節分祭 2月節分の日 例祭 4月10日(神幸祭の盛儀は近郷に知られている) 新嘗祭11月23日 御田植祭7月14日 大祓・おやすみ12月31日 由緒沿革 祭神は仲国造の祖 奈良時代からの古社で当時有力な郡領宇治部氏の奉斎と推測されている。 愛宕町の愛宕神社鎮座の三島山は祭神の墳墓と伝えられ、県内屈指の規模をもっている。 当社は貞観7年12月21日に従五位下神領百石延喜式内小社で那賀郡七座の筆頭社として登載されている。承平年間大掾平繁盛意富の族松本家秀を大宮司とし社領百石の寄進があった。巫女13人が常住奉仕していた。 応永末年江戸氏水戸攻撃の兵火に社殿炎上永正年中社司松本刑部の努力で再建したが天正16年神生氏の乱で再び類焼した。 寛文8年水戸藩主徳川光圀公命で社殿修営、延宝5年9月神鏡を奉納した。元禄2年那珂川守護のため石段を奉納正徳年中御手洗池から石首を発見した。 天保5年6月16日水戸藩主斎昭公画額「鶴」「蘭金筆」を奉納更に同6年4月12日社号を染筆し奉納(隷書)、明治6年徳川昭武公良弓一張奉納、同8年4月1日村社に列格、同40年7月12日(第333号)供進指定、大正14年11月17日皇孫殿下御誕生遊ばさる慶兆に当社御安産神符一体を社掌松本豊太郎献上古来安産の守護神として著名、昭和27年9月5日宗教法人設立。 昭和54年4月1日 神社振興対策指定神社(モデル神社)指定 社頭掲示板 |
大井神社 祭神は、仲国造の祖。奈良時代以前からの古社で有力な郡領宇治部氏の奉斎とされている。水戸市愛宕町の愛宕神社鎮座の三島山は祭神の墳墓と伝えられ、県内屈指の規模を持っている。 当社は貞観7年12月21日従五位下、神領百石、延喜式内小社で那珂郡7座の筆頭社として登載されている。応永・天正年間と2度の兵火にあっている。寛文8年水戸藩主徳川光圀公命で社殿修営された。 安政年間徳川斉昭公命で現在の拝殿が造営された。 茨城県神社庁 |
大井神社由緒 祭神 建借馬命(初代仲国の国造) 配祀 木花開耶姫命(安産の神様) 祭祀 元旦祭(1月1日)大扉開祭(1月7日)節分祭(2月3日) 例祭(4月10日)御田植祭(7月14日) 新嘗祭(11月23日)犬祓神事(12月31日) 由緒 第10代崇神天皇の御代、皇子とよきりひこの命を奉じて、建借馬命が太平洋岸を北上し千葉に上陸し、潮来を通って当地にやってきた命は、長者山に館を構え乾の方角であるこの弛に神社を創建し天照皇大神をおまつりした、奈良時代になり有力な郡領の宇治部氏が初代仲国国造である津借馬命を奉祭した愛宕町の愛宕神社鎮座の三島山は祭神の墳墓と伝えられ県内屈指の前方後円墳である。 建借馬命は、もと肥の国(佐賀・熊本)の意富臣(おふのおみ)であり、祖は神武天皇の長子神八井耳命である。大井神社のもとは、意冨比(おほひ)神社であり、意冨は飫冨とも書き、これが飯富の語源である。 当社は、延喜式内小社で那賀郡七座の筆頭社として搭載されている。 水戸藩主徳川光圀公の崇敬篤く、公は那珂川守護のため石段を奉納した、安政年間徳川斎昭公命により現荘の拝殿を造営された。 社頭掲示板 |
大井神社 大井は於保為と訓べし、和名鈔、(郷名部)大井、○祭神神八井耳命(地名記)〇大淵村に在す、(同上)今茨城郡に属す、例祭月日、 鎮坐に、在大井郷、蓋今飯富村也乎、崇徳帝天治中、改大井曰横曾根、又大部、近世改爲飯富、属茨城郡、蓋縣邑流移今古不同故耳、所祭之神健借馬命、是仲國造之祖也、按常陸国風土記云、行方郡之東有國社、是謂縣祇、村中在塞泉、呼爲大井之縁也と云う、 類社 山城國乙訓郡大井神社の條見合すべし 神社覈録 |