立野神社
たてのじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】立野神社 常陸国 久慈郡鎮座

   【現社名】立野神社
   【住所】茨城県常陸大宮市小瀬 351
       北緯36度35分55秒,東経140度19分17秒
   【祭神】級長津彦命 級長戸邊命 素盞嗚命
   【例祭】3月19日 春季例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】大同年中の創祀
       貞観16年(874)5月11日従五位下
       永禄11年(1568)6月小瀬義春が修営
       天正7年(1579)2月神籬造営
       慶長年中白旗山の八幡神社を立野鹿島神社と尊称
       明治6年4月1日郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】もと現社地より東1km距つた立野山に鎭祭されていた
        立野山からの遷座は大永5年(1525)以前

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「立野鹿島神社」と称していた
   【社殿】本殿神明造銅板葺
       拝殿・社務所・手水舎

   【境内社】素鵞神社
小瀬小学校の前に鎮座
もとは現社地より東1Km程距つた立野山に鎭祭され、鹿島神社と称したが、近世、現在の白幡山に移された。
『新神社誌』には「慶長年中、佐竹の族義隆、白旗山の鹿島神社に合祀し立野鹿島神社と尊称、小瀬の総鎭守とした」とある。


立野神社由緒

鎮座地茨城県那珂郡緒川村大字上小瀬(下郷白幡)351番地
一、 祭神 級長津彦神
     級長津戸辺神
     (大和国龍田宮風伯神と同体と伝えられている)
二、 創立
 創立年代不詳 当社は物部氏の族立野の連が鎮斎したと伝えられているが、延喜式神名帳に「常陸の国式内社二十八社の第十一座久自郡立野神社」とあり、式内社は大化2年から3年(大和時代)に建立されたものが多く、当社もその頃の創立と考えられる。
三、 沿革
 日本三代実録に「貞観16年(平安時代)正六位を授贈せり」とあり明應9年(室町時代)には正三位を授贈されている。
 当時の社域は、現社域より東南東約一キロの西塩子境の立野山の山腹にあったが、天正年間(安土桃山時代、一説に天文18年 室町時代)佐竹氏の族小瀬庄三郎義隆が村民と相談の上、村の中央白幡山の鹿島神社に合祀し、立野鹿島神社と尊称し小瀬の総鎮守とした。天保5年(江戸時代)藩主源烈公より地方二十一石寄付され、また、明治5年には徳川昭武君より水戸家重宝の塗弓一張が奉納された。翌6年には三十ヶ村の郷社に列格同40年には供神指定神社となった。昭和27年からは宗教法人立野神社として運営されている。
 平成5年4月29日、佐竹七福神の一神「身代り大黒天」が奉安され、また、翌6年5月には「平成御大典記念」の三年有余の歳月をかけた整備事業竣功となり、神域も整備され荘厳さを増し、社頭も愈賑々しくなってきている。
四、 祭日 春季例祭 3月19日
     秋季大祭 11月5日
祇園祭 6月第二土曜・日曜

社頭掲示板



立野神社

【御 祭神】 級長津彦神
      級長津戸辺神
【御 神徳】 農業の神様として崇められ、五穀豊穣、家内安全、商売繁盛、その他諸々の御祈祷の末社有り。
【御 由緒】  延喜 式神明帳に常陸国久自郡立野神社とあり、大和国龍田神社と同体なりとも記されている。
 創立年代不詳、ただし、式内社は大化2・3年頃創立されたものが多いので、大化年代の創立だろうと社伝にあり。
 現在地には、天正年間、佐竹氏の族小瀬庄三郎義隆が村民と相談し、白幡山の鹿島神社と合祀し、小瀬の総鎮守とした。
【祭 礼】 春季例祭   3月19日
秋季例大祭 11月 5日
嵐除け    8月31日頃(210日前後)
月次祭   毎月1日 6時
祇園祭   6月初旬の土曜日(境内社素鵞神社祭礼)
【文 化財等】 徳川昭 武氏奉納の弓一張
[七福神] 茨城県北部の「佐竹七福神巡り」・身代わり 大黒天奉安

茨城県神社庁



郷社 立野神社

祭神 級長津彦命 級長津戸邊命 御神体は神鏡に坐ます、創立年代詳ならずと雖も、延喜の制式内小社に列せらる、按るに式社と称する中には大化年間の創建に係る者多し、故に当社も亦其頃創建ならんか、三代實録に清和天皇貞観16年5月11日從五位下を授けらる、先是正六位上たり、爾来授位数回、明応9年正三位たり、社地元と立野山に鎮座あらせられしが、天正年間佐竹の族小瀬義隆今の地即白幡山に奉遷す、時に小瀬の郷の総鎮守と称奉り、徐地壹石六斗八升五合を寄進す、先是大永5年の棟札を藏す。降て天保5年徳川斎昭地方二十一石を寄奉る、明治維新後、三十ヶ村の郷社に列す、社殿は本殿、拝殿、境内は796坪(官有地第一種)全山杉檜鬱蒼とし、東北の一隅は断崖絶削、社頭緒川の一流迂曲して深淵を為す、御手洗淵と云ふ、風景甚佳。祠前一老杉あり、周囲一丈八尺、鬱とし天に参す、俚俗三俣杉と称す、外に大郎杉あり、之れ亦名木たり。
当社の祭神は、古来級長戸辺命と傳ふ、然るに学者近時之れを疑ひ、立野連及久自國造の祖物部建彦連を祭る所とす、姑く附記して後考を俟つ、

明治神社誌料



常陸国INDEXへ        TOPページへ


認定こども園