磯部稲村神社
いそべいなむらじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】稲村神社 常陸国 久慈郡鎮座

   【現社名】磯部稲村神社
   【住所】茨城県桜川市磯部779
       北緯36度22分5秒,東経140度8分27秒
   【祭神】天照皇大神 木華咲耶姫命 天手力雄命 栲幡千千姫命
       瀬織津姫命 日本武尊 天太玉命 玉依姫命 玉柱屋姫命 天鈿女命 倭姫命 天兒屋根命

   【例祭】11月15日 例祭
   【社格】
   【由緒】景行天皇40年10月創建
       天慶2年(939)平貞盛将門追討祈願
       嘉祥2年(849)水早の折祈雨祭執行
       永享元年(1429)関東管領足利持氏寄進
       元禄9年(1696)地頭内藤式部少輔正友寄進

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【公式HP】 磯部稲村神社
   【社殿】本殿
       拝殿・社務所

   【境内社】咳嗽神社・八坂神社

景行天皇40年日本武尊伊勢荒祭宮磯宮を移祀。謡曲「桜川」の関連あり。境内に要石あり鹿島はなまずの頭を抑え、当社は尻尾を抑えるという。


由緒

桜川磯部稲村神社と国指定史跡名勝天然記念物『桜川の桜』
磯部稲村神社は、古来より磯部宮・磯部稲村宮・桜川明神・磯部大明神・稲村神社・桜川磯部稲村神社の称号あり。創建は人皇第十二代景行天皇40年10月、日本武尊伊勢神宮荒祭宮礒宮を移祀す、さきに大山祇命御子木花咲耶姫命御鎮座。御祭神は天照皇太神外十一神を祀る。
沿革、天慶2年(939)平貞盛、将門追討祈願、常陸西大社稲田姫神社関係文書に新治郡磯部郷磯部稲村宮として常陸二十八社(延喜式内社)の一に載せられ、仁明天皇嘉祥2年(849)水早の折鏡ケ池(桜川の源)に於て祈雨祭執行のことが伝えられている。更に人皇百八代後水尾天皇礒辺大明神の勅額を賜る(現存)、特に古来より安産守護神として崇敬され神札を授与す。
神領・神域、大中臣氏の預かるところ鎌倉時代寛元3年(1245)の古文書(鹿島神宮所蔵)に詳らかなり。室町時代永享元年(1429)関東管領足利持氏神領として二十五貫文(二三O石相当)寄進、関東兵乱のみぎり天正13年(1585)結城氏に没収さる。元禄9年(1696)地頭内藤式部少輔正友氏十五石弐斗五升弐合寄進(証文今に存す)。
桜川歌集、つねよりも春へになれは桜川波の花こそまなくよすらめ 紀貫之。謡曲桜川、永享10年(1438)神主祐行関東菅領足利持氏に花見噺「桜児物語」一巻を献じ時の将軍義教世阿弥元清に謡曲を作らしむ。
要石此地元鹿島と云う、鹿島神宮の要石は凹形なり。磯部の要石は凸形なり。陰、陽にして互に古来より連り鹿島は鯰の頭押えると伝えらる。 国指定。名勝「桜川」、大正13年12月 9日、内務大臣。地域、磯部稲村神社の参道両側約1キロメートル。天然記念物「桜川の桜」、昭和19年 7月16日、文部大臣。桜の種類。桜川匂・樺匂・初重桜・初見桜・大和桜・源氏桜・白雲桜・薄毛桜・青桜・青毛桜・梅鉢桜。
指定理由。古来桜花の名勝として謡曲に見えたるを以て其の名夙に著る、桜樹は東北産の品種に属する白山桜にて数百年を経たる巨大なるものあり。花色に淡紅を帯ぶるもの、花梗に毛のあるもの、花に芳香あるもの多くは其の特徴とするところにして他に多く類例を見ず、樹数は多からざれども、特徴のある品種の一箇所に集まるのみならず、関東に於て、いわゆる関東桜の中に東北種の斯く美観を呈するは、常に桜花の名称としてのみならず、学術上に於ても貴重なりとす。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




磯部稲村神社と謡曲「桜川」

人商人の手に渡った我が児を探し求めて当地へ来た母が、磯部寺の僧の弟子となっていた愛児と巡り会うというのが謡曲「桜川」の物語で、桜川という花の名所を舞台に「桜」とゆかりのものを並べた創作能になっていますが、磯部稻村神社には「桜川物語花見噺」という古本があって、これをお家騒動にからむ物語としており、最後に母が住んでいたという屋敷跡・姥ケ塚か今に残っています。また言い伝えによりますと、桜川の桜は織部稲村神社の境内だといわれ、今も馬場には桜の古木が多く、古来から花の名所でした。なお謡曲中の磯部寺は現在はありませんが一説には神社境内にあった神宮寺がそれだという旧説があります。
謡曲史跡保存会

社頭掲示板



桜川磯部稲荷神社

創立 景行天皇40年10月、日本武尊・倭姫命、伊勢の皇大神宮の荒祭宮礒宮を此の地に移祀す。
御祭神 天照皇大神・天之手力雄命・栲幡千々姫命
瀬織津姫命・木華咲耶姫命・天之児屋根命
天太玉命・玉柱屋姫命・天鈿女命・倭姫命
日本武尊・玉依姫命・豊受大神
攝社 鹿島社・香取社・息栖社・神前社・諏訪社・小聖社
足玉社・蔵王社・天神社・浅間社・稲荷社・咳嗽社
(御手洗)外に、末社三十二社を祀る。
要石 常陸国一の宮鹿島神宮の戌亥(西北)の鎮守とも伝えられる。
鹿島神宮の要石は、凹型なり、磯部の要石は、凸型なり。
陰陽にして互いに古来より連なり鹿島は鯰の頭を押さえ磯部は尾を押さえると伝えられる。
謡曲「桜川」と天然記念物「桜川の桜」
永享10年(1438)磯部稲村神社神主磯部祐行、関東管領足利 持氏に花見噺「桜児物語」一巻を献上、この物語をもとに将 軍足利義教が、世阿弥元清に謡曲を作らせたのが起こり とされています。桜川磯部稲村神社境内を始め桜の馬 場(磯部桜川公園)桜川流域は、平安時代から西の「吉野」 に東の「桜川」と言われる程東国一の桜の名所であり、 桜樹は東北産の品種に属する白山桜にして、花色は淡紅 を帯びるもの、花梗に毛のあるもの、花に芳香のあるもの、 多くは其特徴とするところにして他に多く類例を見ず、常 に桜の名勝としてのみならず学術上に於いても貴重なりと して、大正13年12月9日国の天然記念物として十一種 類が指定、次いで昭和49年7月16日磯部地内桜樹 全樹が指定される。
また、古くから紀貫之を始め多くの文豪詩家名士がこの地 を訪れ多くの歌や句が詠まれている。

社頭掲示板



磯部稲村神社

【御由緒】 ◆由緒
景行天皇40年(西暦111)10月、日本武尊、伊勢神宮の荒祭宮である礒宮を此の地へ移祀したと伝えられる。
◆沿革
天慶2年(939)平貞盛、将門追討祈願、常陸西大社稲田姫神社関係文書(常陸国分寺極楽寺蔵)に新治郡礒部稲村宮として常陸28社(延喜式内社) の一に載せられ、仁明天皇嘉祥2年(849)水旱の際に折鏡ヶ池(桜川の源)において祈雨祭執行のことが伝えられている。
更に人皇108代後水尾天皇礒部大明神の勅額を賜る(現存)。
特に古来より安産守護神として崇敬され神札を授与する。

茨城県神社庁



磯部稲村神社

◆由緒
景行天皇40年(西暦111)10月、日本武尊、伊勢神宮の荒祭宮である礒宮を此の地へ移祀したと伝えられる。
◆沿革
天慶2年(939)平貞盛、将門追討祈願、常陸西大社稲田姫神社関係文書(常陸国分寺極楽寺蔵)に新治郡礒部稲村宮として常陸二十八社(延喜式内社) の一に載せられ、仁明天皇嘉祥2年(849)水旱の際に折鏡ヶ池(桜川の源)において祈雨祭執行のことが伝えられている。
更に人皇百八代後水尾天皇礒部大明神の勅額を賜る(現存)。
特に古来より安産守護神として崇敬され神札を授与する。

公式HP



要石

国土安泰・地震災難守護
当神社は、常陸国一宮鹿島神宮の戌亥(北西)の鎮守の社とされ、鹿島神宮と共に国土・常陸の国の吉方を守護しています。
鹿島神宮の要石は、凹型、鯰の頭をおさえ磯部神社の要石は、凸型、鯰の尾をおさえ古来より互いに連なり守護していると伝えられる。
また、深さを調べようと、底を三日三晩、掘下げたが、底が見えなかったとの言い伝え在り。
※鎌倉時代後期、鹿島神宮の管理する神社として記録あり

社頭掲示板



郷社 磯部稻村神社

祭神 天照皇大神 木花咲耶姫命 天手力雄命
相殿 日本武命 拷幡千々姫命 瀬織津姫命
創立は傳説に拠るに、日本武尊東夷を討ちて凱旋の途次、常陸に入り櫻川に臨みて曰く、今や寇逆蕩平、心亦随て清しと、因て皇大神宮を遙拝し、祀して磯郎大明神と称奉りしと云ふ、後水尾天皇勅額を賜はりたり、旧と除地十五石二斗五升を有し、明治14年9月郷社に列す。
社殿は本殿、拝殿、幣殿、境内は848坪、(官有地第一種)及這般編入せられし上地林四反七畝二十歩より成る、社頭の参道延長七町余、両側桜樹聯立、皆数囲の大木なり、流あり櫻川と称し、架するに橋あり玉蔭と称す、蓋大中臣能宣の詠に因めるなりと、是地古来名を関東に壇にし、彼の紀貫之の詠碑に鈎りて境地に在り、将軍宗尊親王、尊澄親王及近衡信尹の詠ずる所亦社中に藏す、其他櫻川物語櫻川の碑等あり、碑は少監加茂保誠、天保14年を以て建てつる所たり。

明治神社誌料



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