天志良波神社
あめのしらはじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】天志良波神社 常陸国 久慈郡鎮座

   【現社名】天志良波神社
   【住所】茨城県常陸太田市白羽町1670
       北緯36度34分20秒,東経140度33分3秒
   【祭神】天白羽命 (合祀)天之志良波神 長白羽神
   【例祭】4月10日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】貞観8年(866)5月27日従五位下
       貞観16年(874)12月29日従五位上
       天文13年(1544)12月11日造営
       享保12年(1727)9月社殿造営
       明治4年4月郷社
       同6年4月村社
       同44年6月12日供進指定
       大正11年1月再び郷社に復した

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿、流造銅板葺
       拝殿・社務所・神輿舎・手水舎・神庫

   【境内社】天照皇大神宮・白山神社

白羽スポーツ広場南に鎮座する。
坂上田村麿が征夷大将軍として征討に向う途中この地に宿し、夢想の告を蒙り、白羽の矢一双を賜わった。そこで社を建てて祀った。
古語拾遺に「今俗衣服謂之白羽」とあり、白羽は衣服をさす古語であるらしい。久慈郡には長幡部神社・静神社(静織里、倭名抄倭文郷に鎭座)と、機織に関連する式内社が存し、また倭文部が住む(萬葉集)など、古代には紡織が盛んに行われたことが窺われるが、当社もこの地方の機織にたずさわつた人々が祀つた神社であろう。


天之志良波神社

天之は阿女乃と訓べし、志良波は假字也、○祭神明か也〇太田郷白羽村に在す、白羽明神と称す、例祭月日、〇旧事紀、(神祇本紀)復令麻続祖長白羽神種麻以爲青和幣、今衣称白羽、此其縁也、」古語拾遺云、令長白羽神種麻以爲青和幣、
鎮坐云、中世以佐竹永義(或作長義)為別当職、是謂今宮大納言、按佐竹家譜云、永義佐竹昌義十六代右京大夫義舜之次子也、爲真壁大先達住小野邑、当此之時爲志良波祠別当、称今宮大納言、蓋不官位也、所謂大納言者、今猶修験者流宰相少將少納言之類可以知、
神位
三代實録、貞観8年5月27日庚午、授常陸國正六位上白羽神從五位下、同16年12月29日癸未、授常陸國從五位下天之白羽神從五位上、

神社覈録



由緒

天志良波神社由緒
御祭神は天照大神天岩戸にかくれましゝ時、天太玉命に属し、麻で青和幣を作り、父神天日鷲命は白和幣を作られた。弟神健葉槌命と共に麻を植え織物をされた。白羽は衣服のことである。一説に延暦14年坂上田村麿将軍東征の時、創建すと云ふも詳かでない。天志良波神、又長白羽神(古語拾遺)貞観8年5月27日正六位上天志良波神従五位下、同16年12月29日従五位上の神階(三代実録)式内小社久慈郡七座の一、天文13年12月11日佐竹義篤社殿修営遷宮式あり。(棟札)元禄中水戸藩徳川光圀公の命で大聖院の社務をやめ神職の奉仕とす。享保12年9月徳川実 公社殿の営修あり、神宝を献じ圭田2石6斗3升7合を納る。天保15年斎昭の命により白羽、田渡、西宮、三才、小沢五ヶ村の鎮守となる。
明治4年4月1日郷社に列格、同6年4月村社となる。同44年6月12日(第300号)供進指定。昭和27年6月16日宗教法人設立。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



天志良波神社

【御祭神】 天白羽命 天之志良波神 長白羽神
【御神徳】 衣服の神 麻の神 音楽の神 御琴の神 弓道の神 産業の祖神として各地より崇敬されています。
【御由緒】 御祭神は天照大神天岩戸にかくれましし時、天太玉命に属し、麻で青和幣を作り、父神天日鷲命は白和幣を作られた。
弟神健葉槌命と共に麻を植え織物を広めた神であり、麻績氏の祖神である、白羽は衣服のことである。

茨城県神社庁




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