御岩神社
おいわじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】薩都神社 常陸国 久慈郡鎮座

   【現社名】御岩神社
   【住所】茨城県日立市入四間町1217
       北緯36度38分9秒,東経140度35分7秒
   【祭神】國常立命 (配祀)大國主命 伊邪那美命 神産魂命 高産靈命
       (合祀)水戸徳川家歴代靈位 大日本國民靈位

   【例祭】4月8日 例大祭
   【社格】
   【由緒】貞観16年(874)従四位下

   【関係氏族】
   【鎮座地】

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【公式HP】 御岩神社
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】齋神社・稲荷神社・愛宕神社
   【境内図】 境内図

常陸国 最古の霊山と言われている御岩山の麓にある。
「常陸国風土記」(721年)に太古よりこのかびれの宮に天つ神鎮まると記されている。
奥宮『かびれ神宮』は、水戸藩の祈願所で、『大日本史』編纂祈願「筆初めの儀」もここで行われた。


御岩神社

■延喜式内本宮社
創建の時期は不明であるが縁起書等によると、天地開くる時よりこの霊山に鎮まるとある。また、古事記日本書紀と並ぶ、我国最古の地方誌である「常陸国風土記」(721年)に太古よりこのかびれの宮に天つ神鎮まると記され、同じく「三代実録」には「清和天皇貞観16年(874年)「神階が県北地方最高位の 従四位下に進められた事が書かれている。「続日本後紀」「古語拾遺」等にも当神社の記事が出ており、特に「延喜式神名帳」(927年)には常陸久慈郡総社ともいえる薩都神社(里野宮)の本宮として常陸二十八社の一つと記されている。徳川家からは神地一八九町が寄進され水戸藩の出羽三山として隆盛をきわめた。
■森厳を極めた霊地
数百年の老樹巨木鬱蒼と茂り広大な境内全域はまことに神さびて森厳を極める。かつてこの霊山はかびれ山又は葦原山、天香久山と呼ばれ、江戸時代に至っては水戸藩の出羽三山として水戸領は勿論遠く下総方面よりの信徒等も多く、神仏混淆による祭祀で境内に二十一の神社寺院があり寺町と呼ばれ、門前町である入四間宿を御町とよぶ大きな霊地を形成していた。明治維新によって神仏分離が実行され神社として純粋な形を保つため、大日堂、観音堂、念仏堂、大仁王門など取払われたが、境内の遺跡、祭りの内容などは今日でも他の神社と違った昔の名残を伝えている。
■水戸藩の祈願所
御岩大権現、奥宮かびれ大神宮は水戸藩の祈願所として定められ藩主は代々参拝するのを常例とされた。また社殿の維持管理を始め参拝者より徴収する「山役銭」(税金)の管理まですべて水戸藩によって行われた。初代藩主徳川頼房公は敬神のため寛永七年出羽三山をこの地に移し其の後、光圀公尊慮を以て大日如来を 本地とする御岩大権現と改称。明暦3年2月11日奥宮であるかびれ大神宮にて王政復古修史編さん(大日本史)の祈願「筆初めの儀」を行い、次の誓歌を詠んでいる。
■神山・かびれ山(御岩山)
戦前の茨城四十五景、戦後の茨城百景の一つで海抜492m。至る所に奇岩怪石がそびえたち変化に富み訪れるものひとしくその異観に驚かされる。古代より信仰の山として祀られ祭祀遺跡が発掘されており中世より修験の山としてさかえ山伏など信仰者が登拝した。頂上は太平洋を一眼に遠く那須連山を一望にでき、現在はハイキングコースとしても多くの人々が訪れる。
■御岩山霊場図
当山御岩山は古来より神々が棲む聖地として崇められてきた霊山であります。文献で初めて現れるのは、713年編纂の「常陸國風土記」に「かびれの高峰(御岩山の古称)に天つ神鎮まる」と記され、考古学においても、それを裏付けるように、古代縄文人が神々を祀る祭祀遺跡等が発掘されております。
この霊場図は、中世より修験の山として栄えた名残ともいえるもので当山縁起の百八十八柱の神々がかかれており、県下最大関東有数の霊山であることがうかがえます。平地と隔絶した霊気漂う聖なる神域、御岩山はそういう特別な場所です。

公式HP




御岩神社

◆御祭神
国之常立神、大国主神、伊邪那岐神、伊邪那美神、大山祇神、ほか20柱
御岩山総祭神188柱
◆由緒
創建の時期は不明ですが、縄文晩期の祭祀遺跡の発掘や、日本最古の書の1つ「常陸國風土記」(721年)に「浄らかな山かびれの高峰(御岩山の呼称)に天つ神鎮まる」とされる事から、古代より信仰の聖地であった事が窺えます。
中世には山岳信仰とともに神仏混淆の霊場となり、江戸時代に至っては水戸藩初代徳川頼房公により出羽三山を勧請し水戸藩の国峰と位置づけ、藩主代々参拝を常例とする祈願所でありました。明治維新により神仏分離令が実行され、境内21の神社、寺院を整理統合、大日堂、常念仏堂、百観音堂、大仁王門等が取り払われましたが、仏像の現存、境内の遺跡、祭事内容など古代信仰(古神道)、神仏習合色が色濃く残り、今日でも他の神社、寺院に見られない独自の信仰を伝えております。

社頭掲示板



御岩神社

東の大きな山をかびれの高峰という。ここには天つ神がおられ、名を立速日男命(たちはやひをのみこと)と申し上げ、またの名は速經和氣命(はやふわけのみこと)である。もとは天より降りられて、すぐに松沢の松の木の八俣の上にお鎮まりになられた。この神の祟りは非常に厳しく、人が向かって大小便でもしようものなら、たちまち災を下し病にならせたという。このため付近の住人は常に苦しみ困り果て、その状況をつぶさに朝廷に申し上げたところ、片岡大連(かたおかのおおむらじ)を遣わされて謹んで祈り奉り「今おられるところは、民が近くに住んでいるので、いつも不浄でございます。おられるには相応しいところではありません。どうかこの様な地からお移りになられて、高い山の清浄な場所にお鎮まりください。」と申し上げた。神はこの願いを聞き届けられ、遂にかびれの峰にお登りになられた。

社頭掲示板



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