阿弥神社
あみじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】阿弥神社 常陸国 信太郡鎮座

   【現社名】阿弥神社
   【住所】茨城県稲敷郡阿見町竹来1366
       北緯36度2分2秒,東経140度14分3秒
   【祭神】健御雷之男命 (配祀)経津主命 天児屋根命
   【例祭】10月5日 例祭
   【社格】旧県社
   【由緒】舒明天皇3年(631)創祀
       勝宝年中(749-57)創祀とも
       元禄4年(1691)造営
       明治6年10月県社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「明神」と称していた
   【社殿】本殿流造銅板葺
       拝殿・土藏・社務所

   【境内社】幣殿・拝殿・神樂殿
   【神宮寺】神楽殿は旧神宮寺の本殿であった

第10代崇神天皇の皇子豊城入彦命が、崇神天皇の48年に東海より東山を治めたことにより、のちに祭神として祀られたという。
創祀の年代は、舒明天皇3年(631)とも、孝謙天皇の勝宝年中(749-57)とも伝えられている。
明治以前には信太郡二宮とされていた。


阿見町指定天然記念物

阿弥神社樹叢(竹来)
昭和52年3月22日指定
阿弥神社の創建は607年、椎古天皇(593〜629)の年代と伝えられる。創建当初よリ社格の高かった神社であり、この神域を取囲む日本杉の荘厳な樹叢は植樹期に関する確かな文献はないが、伐採した切株の年輪から推定すれば300年以上の歳月を経ていることは明かである。しかも千数百年の昔より、守護神として郷土の人びとの信仰の的となってきた阿弥神社の尊厳をいやがうえにも支えてさた責重な樹叢である。
昭和60年7月1日
阿見町教育委員会

社頭掲示板



阿弥緑地環境保全地域

この地域は、スギを主とし、スラジイ、シラカシ、クスノキ等常緑樹の混生する森林です。林内には、ヒサカキ、テイカカズラ、ヤブツバキのほか、関東地方以西に分布する落葉樹のゴンズイ、多年草のヤブミョウガなどが生育しています。
チョウ類では、アオスジアゲハ、モンキアゲハ、イチモンセセリ、コチャベネセセリ、鳥類では、コジュケイ、ヒバリ、セグロセキレイ、アオジ、カワラヒワ等豊富に生息しており、良好な自然環境を形成している地域です。
(昭和57年3月25日指定)
茨城県

社頭掲示板



阿見町名所百選

竹来の阿弥神社
 竹来は常陸国風土記の普都大神降臨の地とされ、当社は中世では庄内第一の惣廟として二の宮明神とよばれた。近世に阿弥神社と改める。社伝によると祭神は武甕槌命である。
 本殿は元禄4年(1691)の棟札があり、町内最古の建築である。神域を囲む樹叢は町指定文化財である。また境内に 吉田麦翠の句碑「湖の風も通うて夏木立」がある。
 なお境内の西方に縄文中期の根田貝塚、南方に付近から出土した中世石塔群がある。
阿弥町教育委員会

社頭掲示板



阿彌神社

阿彌は假字也、和名鈔、(郷名部)阿彌、(印本作阿彌誤)〇祭神豊城入彦命、(地名記)○在所分明ならず、(鎮坐記、地名記共に高來郷竹來村と云り、式社考、参考等には阿彌村と云り)〇姓氏録、(左京皇別下)大綱臣、上毛野朝臣同祖、豊城入彦命六世孫下毛君奈良弟、其若君之後也、

神社覈録



縣社 阿彌神社

祭神 健御雷之男命
配祀 経津主神 天児屋根命
創立年代詳ならす。伝説に拠れば元明天皇和銅年間なりと云ふ、此の地神代の霊地にして、常陸風士記に、「高来里、古老曰、天地権輿、草木言語之時、自天降来神名、称普都大神、巡行葦原之中津国、和平山河荒梗之類、大神化道己畢、心存帰天即時随身器杖(俗曰、伊川乃川裏)甲戈楯劔及所執玉珪、悉皆脱■、貿置茲地、即乗白雲還昇蒼天」
と見えたり、今高来、竹来に作り、大神の甲楯を遺留せられしを以て、山を楯脱山と称す、古来信太郡の二宮にして、同郡四十五ケ村の氏神たり、故に旧と二宮明神と称せしが、明治6年10月現今の社號に改め縣社に列し、今は本村竝に七ケ村の氏神たり、
社殿は本殿、拝殿、幣殿、其他神楽殿等あり、棲閣鱗次、頗る輪換の美を極む、境内3751坪(官有地第一種)霞浦に臨み眺嘱甚だ愛すべし。
当社明細帳を始め、二十八社考、神紙志料又は特選神名牒等の如きは当社を以て式の信太郡阿彌神社とす、然るに郡郷考、式社考等之れと見解を異にし、式社考、地名僻書の如き阿見村の阿見神社を以て式の阿彌神社とせり、由て記して後考を侯っ、

明治神社誌料



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