栗原神社
くりはらじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】栗原神社 飛騨国 荒城郡鎮座

   【現社名】栗原神社
   【住所】岐阜県高山市上宝町宮原350番地
       北緯36度17分9秒,東経137度22分20秒
   【祭神】五十猛神 大山祇大神 宇迦之御魂神 伊邪那美命
        伊邪那岐命 菊理姫命 火産霊神
       『特選神名牒』五十猛神
       『神社覈録』には「祭神在所等詳ならず」

   【例祭】5月3日 例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】貞観9年10月5日従五位上「三代実録」
       明治3年9月式内栗原神社改称
       明治4年9月郷社
       明治40年3月27日神饌幣帛料供進神社

   【関係氏族】
   【鎮座地】往古は今の地より東方の沖幅と称する地に鎮座

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「白山権現」と称していた
   【社殿】本殿神明造
       祝詞殿・幣殿・神樂殿・神饌殿・拝殿・社務所

   【境内社】愛宕神社・稻荷神社

往古は今の地より東方の沖幅と称する地に鎮座、その後年代未詳、夢の告にて現在地に社殿を移したという。
明治初年まで白山権現と称していたが、幕末の復古思想により当社の社家である富岡眞威が式内社と主張し、明治3年9月高山県社寺方市村株山、山崎櫻桃の両人によりそれを認めて栗原神社と改め今日に至つている。


栗原神社

創立年代は不詳。清和天皇貞観9年10月神階従五位、延喜式式内当国八社の一。往古「白山権現」といったことがある。古老の口伝によると、往古当神社の東方「沖巾」と称する所に栗の木が繁栄した。その中の大木には良く実がついたので里人は神木として尊んだ。毎年5月24日には、里人等が集まり、木の実の豊作を祈りながら、これを「梅雨祭」といった。数年にわたり里人が相謀り相語り神殿を創り栗の実の神を祀り、怠りなく祭祀していたが、霊夢により、神殿を現在地に移し祀り「宮原」と称するようになった。戸田采女正による広禄検地の際、境内除地一畝二十一歩を賜る。明治4年9月上宝村郷社に指定される。明治40年3月27日神饌幣帛料の供進神社となる。同41年村社白山神社と合併。大正15年?昭和2年までに幣殿、拝殿を新築。昭和22年銀幣社に指定。同40年宝物殿新築。同43年本殿、幣殿、拝殿の屋根(トタン張替)。
文化財 大杉 市指定天然記念物

岐阜県神社庁



栗原神社のスギ

指定年月日 昭和49年7月3日
所在地 上宝町宮原
所有者・管理者 栗原神社
宮原栗原神社境内にあり、古くから地元の御神木としてあがめられてきた。見座・宮原・在家と続く河岸段丘の中間地形の中央部に位置し、本殿・拝殿・社務所・倉庫の間にスギ・サクラ等二十数本か育成し社叢林を形成している中で一際そそり立つ姿は威厳がある。
主幹より大枝四本いずれも枝分かれしてのち垂直に育成し、副樹幹的な役割をしている。枝葉は大きく四方に広がり均整のとれた樹冠をなしている。目通り6.2m・根元周囲9.7m・樹高47.5m・枝下高8mで、樹齢約四百年と推定される。

社頭掲示板



由緒

延喜式内飛?八社の一
栗原神社
鎮座地 上宝村大字宮原字栗原350番地
銀幣社(旧社格 郷社)
一、祭神
五十猛神・大山祇大神・宇迦之御魂神・伊邪那美命 伊邪那岐命・菊理姫命・火産霊神
一、由緒
創立年代は不詳であるが、清和天皇貞観9年(皇紀1527 西暦867)10月、神階従五位、延喜式内当国八社の一となる。
いつのころか、往古「白山権現」といったことがある。
古老の口碑に、往昔当社の東方字「沖巾」と称する所に栗の木がよく繁茂した。特にその左の大枝はよく実ったので、里民は神木として崇敬した。毎年5月24日には、里民参拝して木の実の豊作を祈り、これを梅雨祭と言った。
かくすること数年里民相謀り、その所に神殿を創立し、栗の実の神を怠りなく祭祀していたが、あるとき霊夢により、神殿を今の地に移し祀り、「宮原」と称するようになった。
戸田采女正による元禄検地の際、境内除地一畝二十一歩を賜った。
明治4年9月、上宝村郷社指定。
同40年3月27日、告示第八〇号により、神饌幣帛料の供進神社となる。
同41年9月、大字新田字下田平の村社白山神社を合祀した。
同年12月、告示第三八五号により、神社会計規定適用の指定を受ける。
大正15年2月4日より、昭和2年4月25日までかかって、幣殿・拝殿を新築した。
昭和22年9月1日、銀幣社に指定せられる。
同40年10月、宝物殿新築。
同43年、本殿・幣殿・拝殿の屋根のトタン張替工事をする。
同46年、神階認定百年記念として、狗犬を新作する。
同47年11月、石造の鳥居を建立する。
同53年4月、拝殿・神楽殿・神饌殿・祝詞殿の基礎工事をする。
同54年4月30日、拝殿・神楽殿・奏楽殿を新築する。
境内には鬱蒼とした大杉があり、村指定天然記念物となっている。
一、祀職
明治以前は富奥徳咸・富奥国咸・富奥真咸。
明治後は富奥真咸・大林元春・直井潔・田島豊蔭・沢田直康・現宮司は沢田康瑞である。
一、祭祀
例祭日は5月3日(制定日4月23日)、神幸祭・御旅所祭等がある。
昔、例祭日は5月24日であったが、後9月15日となり、5月24日は小祭日とした。その後10月1日になり、大正12年より4月23日となったこともあるが、更に昭和41年例祭日統合の話し合いにより、本郷校下は5月3日となり、現在に至る。
一、建造物 
本殿(神明造檜皮葺 0.7坪)・覆殿(神明造檜皮葺 2.1坪)・祝詞殿(神明造檜皮葺 14.5坪)・神饌殿(神明造檜皮葺 4.2坪)・神楽殿(神明造檜皮葺 4.2坪)・拝殿(神明造檜皮葺 33坪)・神庫(鉄筋コンクリート造トタン葺 6.1坪)・事務所(木造二階建 29坪)・鳥居(石造靖国造 高一七尺幅一五尺)・社号標(石造 高九尺)・狛犬(石造 高六尺)・燈籠(石造 高九尺)。
一、宝物その他
○大杉(村指定天然記念物)
一、境内地
603.7坪。 境外地 4586.1坪。
一、氏子
明治11年9月、白山神社合併合祀により、新田区も氏子となり67戸。崇敬者500人。
一、神職
宮司 沢田直康。昭和61年11月より宮司 沢田康瑞。

社頭掲示板



栗原神社

栗原は久利波良と訓べし〇祭神在所等詳ならず
神位
三代実録、貞観9年10月5日庚午、授飛騨國從五位下栗原神從五位上

神社覈録



郷社 栗原神社

祭神 五十猛神
相殿 伊弉冉命 大山祇神 伊弊諾命 菊理姫命
創建年代詳ならずと雖も、延喜の制式の小社に列し、当國八座中荒木郡五座の一に数へらるるもの是なりと、飛騨国総社考に、「栗原神社未詳。大野郡川上郷牧ケ洞村了徳寺の山號を栗原山と云て、傍なる小社此社ならんといへど、郡たがへればよしなし」と云ひ、神社覈録に、祭岬在所等詳ならずとし、神祇志料に、「栗原神社、今吉城郡高原郷宮原村字栗原にあり、又特選神名牒、「所在宮原村(字栗原○今属吉城郡)となせり、清和天皇貞観9年10月5日庚午、從五位下栗原神に從五位上を授けらる(〇三代実録)凡毎年5月24日栗花落祭を行ふ」と見ゆ、社伝によれば、本社は往古今の地よも東の方(今字仲はばと称へ耕地なり)に栗樹多く繁茂せし中に一大木あり、未た曾て毎歳実らすといふこと無し、土俗これを神木と崇信し、而して毎年5月24日里民腐集参拝す、古来当高原郷の中、殊に本社并に上實村神岡村は僻遠の山間にして、耕地少なきを以て、常に木実を探集して補食とするを例とす、是の故に此日木実の豊熟を祈念するものにして、呼んでツユノ祭と名づけ、今尚之を行ふ、此くの如くすること数年の後、里民相謀りて此処に社殿を創建して木実の神霊を勧請鎮齋す、夫より誰云ふとなく、当所を呼んで宮原と唱へ途に村名となる、加之当地の栗実(大くごの栗といふ)は有名の産物にして、昔時国主は勿論、年々朝廷へも奉献せしとぞ、中古江馬家(平盛経の妾腹末子、母は吉城朝光の女、初名小四郎時経、後修理亮輝経と号す、夫より十六代神岡村殿組に居城す)崇敬厚く度々改修を施す、然るに本社はもと在家組(古へ村といふ)の持なるを以て此に郷民の紛乱を生じて、遂に各村に分祠を創設するに至ると云ふ、明治4年九月郷社に列せられ、同42年村社白山神社を合祀す。 社殿は本殿、幣殿、倉庫等を具備し、境内坪数277坪(民有地第二種)を有す。

明治神社誌料



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