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文化年中に京都吉田家の調査で式内荒城神社とされたが、現荒城神社が強く抗議した。 その後、荒城四社の何れかであろうと調査し、式内阿多由太神社とされた。 |
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阿多由太神社 金幣社 阿多由太神社 大歳御祖神(穀物の神といわれる)を主神とし、熊野社、阿須波社、三輪社、金刀比羅社、稲荷社、秋葉社を合祀してあります。 創立年代は不明ですが、延喜式神明帳に記載されている式内社として由緒ある神社です。本殿は三間社流見世棚造りの柿ぶきで、室町時代初期の作とみられ、国の重要文化財に指定されています。 また、昔から宝物として当社に伝わっている木造の随神一対(県重文)本地佛三体(町重文)ともに平安時代の逸品とされ、歴史の古さを物語っています。寛永九年に加藤宗堅という人が鍵取を勤めて以来、代々の加藤氏が当社の祭祀を司ってみえます。 社頭掲示板 |
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阿多由太神社 阿多由太神社本殿 本殿は三間社流見世棚造り、屋根は柿板葺で比較的簡素な造りではありますが、技法・手法ともに優れ、素朴で優雅な感じがする建物です。建立は室町時代初期と考えられています。昭和36年に国の重要文化財に指定されました。 社頭掲示板 |
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阿多由太神社 創祀未詳なれども、関野貞博士鑑定書に阿多由太神社本殿三間社流造規模小にして構造簡なるも、斗拱手犹大瓶束等皆雄建の風を湛ふ。その様式より考ふれば南朝の頃に造営せられしものなるべし。神像十数体作者不詳なるも藤原時代初期約一千年前の作か。随神二基平安末期の作以上鑑定。例祭日9月24日。 岐阜県神社庁 |
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阿多由太神社本殿(国指定重要文化財) 所在地 高山市国府町木曽垣内1023 所有者 阿多由太神社 指定年月日 昭和36年6月7日 構造形式 三間社流見世棚造 ?板葺 この神社は『延喜式神名帳』(927年)に記載された飛?式内八社の一つとされる。本殿の両側に置かれる木造随神(県指定重要文化財)は平安時代末期の様式を持ち、神社の由緒を物語る。国府町内の木曽垣内、三日町、半田の三地区の産土神として今も崇敬されている。 現在の本殿の建築年代は室町時代後期と推定される。 本建物は三間社で横幅2.67m、正面三間のそれぞれに扉が付き、中央には主神の大歳御祖神、右側には熊野大神、左側には阿須波乃大神が祀られる。階段を持たず小形社殿が多い見世棚造としては規模も比較的大きい。今も多く残る建築当時の部材には、木目の緻密なサワラ等の良質材が多用され、当時の飛?の森林資源の豊かさをうかがわせる。各部の意匠は室町時代の特徴をよく示す。 簡素ながら素朴で優雅な形態と、彩色を施さず良材の美しさ、強さを生かした精巧な造りに飛?匠の技と感性が遺憾なく発揮された、飛?の中世文化を示す貴重な建物である。 社頭掲示板 |
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阿多由太神社 阿多由太は假字也〇祭神詳ならず○今高原郷淺井田村白山社これ歟 神位、 三代實録、貞観9年10月5日庚午、授飛騨國從五位下阿多由太神從五位上 神社覈録 |