富田礼彦は「古川町方村の、古川と下町との間(貴船神社より二、三町用水後ろの側)に字高田(たかだ)一町三反二八歩の土地があり、タカダはアガタの誤訓で、そこが式内高田(あがた)神社の旧社地である、神屋敷と呼んで肥料には灰だけしか使わない、高野村の阿賀多社と同神であらう」という(『斐太後風土記』)。 『飛騨総社考』に、「貴船の神社が高田神社の跡か」とあり。 |
庚申塚碑 庚申の日に青面金剛を祭る習俗を庚申待ちといった。庚申の夜眠ると、人の体内に住む三尸という虫が抜け出し、その人の罪を天帝に告げるといわれ、人びとは講を結んで集まり徹夜した。 元禄13(1700)年4月吉日と刻まれたこの碑は、初め古川郷是重村字荒神木に建立された。荒神木は荒城川の右岸向是重と呼ばれる地内にあった。荒城川が幾度も出水したので、明治初年に貴船神社境内の東隅に移され、さらに昭和43年現在地に移転された。 平成4年覆屋を建設した。 社頭掲示板 |
貴船神社 創祀未詳なれども、元禄7年検地の際除地一畝二十二歩を付く。同元禄水帳に明かなり。当時貴布禰大明神とありて現時此地及び付近の字名を貴船宮の下と称す。里伝に曰く是の里は古昔より水利なき陸田にして旱魃の憂不堪により、城國貴布禰神社(十古社の一社)は祈雨の神なるを以てここに齋しく祭りて時に慈雨を降らし給ひ作物豊穣を祈りしものなるべしと、毎年8月25日を例祭とし、春秋祈年新嘗祭を行ひ旱魃の時にありては祈雨の臨時祭を行ふ古例にして不思議に恵雨を降らし給ひければ遠くより来りて祈雨する者多かり。村民の信仰崇敬最も深厚なり。斯くも神雨ありければ郡代の来拝されしこともありとなり。 岐阜県神社庁 |