室町時代姉小路尹綱の軍が戦に敗れた際、同家に伝わっていた菅原公の本像がここに祀られ、以来学問の神、天神宮として信仰を集めるようになった。 田中大秀の門下富田礼彦が式内大津神社に比定した。 境内に縄文遺跡があることから、天満宮以前からなんらかの祭祀が行われていたと思われる。 しかし、天満神社の神社規則神社明細帳には、祭神に菅原道真を祀るとして式内社についてはふれていない。 |
村山遺跡 縄文時代前期(約五千数百年前)の遺跡で、昭和26年(1951年)8月に発掘調査が行われた。 その結果、多数の土器片や石器が出土し、竪穴住居跡1ヶ所が確認された。竪穴住居跡としては、県下最初の発見であった。また、縄文前期の遺跡としては飛騨地方の最も代表的なものである。 竪穴住居の大きさ 赤土面を約30cm程(地表より約1m)掘下げ7.4m×6.6mの楕円形で6個の柱穴があり中央には炉跡(直径1.2m)がある。 社頭掲示板 |
縄文時代住居跡 岐阜県指定重要文化財 縄文時代住居跡 昭和31年2月24日指定 ここは、縄文時代前期の縦穴住居のあつた遺跡です。 場所は、天満神社本殿の左後方部にあたります。 縦穴は長径7.4m、短径6.65mの円形に近い楕円形で、中央に炉跡があり、中心柱の穴をめぐつて六個の主柱穴が配置されています。 岐阜県下で最初に発見された縦穴住居跡で、貴重な遺跡ですから大切に保存しましよう。 社頭掲示板 |
天満宮 創祀未詳国司姉小路宰相藤原頼綱建武2年5月当国に下向の後此の神像を同郡細江村杉■組に勧請の処四世参議尹綱応永18年8月戦死に付右神像を当村廣瀬組字小山へ遷座。其の後尚又今の地に遷座゛しと、この神像口伝には京都北野神社の神像と同作なりと云ふ。例祭日9月25日。 岐阜県神社庁 |