天満神社
てんまんじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】大津神社 飛騨国 荒城郡鎮座

   【現社名】天満神社
   【住所】岐阜県高山市国府町村山626番地
       北緯36度11分47秒、東経137度15分24秒
   【祭神】菅原道真 天津神 (合祀)建速魂神 天児屋根神
   【例祭】9月15日 例祭
   【社格】
   【由緒】由緒不詳

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

室町時代姉小路尹綱の軍が戦に敗れた際、同家に伝わっていた菅原公の本像がここに祀られ、以来学問の神、天神宮として信仰を集めるようになった。
田中大秀の門下富田礼彦が式内大津神社に比定した。
境内に縄文遺跡があることから、天満宮以前からなんらかの祭祀が行われていたと思われる。
しかし、天満神社の神社規則神社明細帳には、祭神に菅原道真を祀るとして式内社についてはふれていない。


村山遺跡

縄文時代前期(約五千数百年前)の遺跡で、昭和26年(1951年)8月に発掘調査が行われた。
その結果、多数の土器片や石器が出土し、竪穴住居跡1ヶ所が確認された。竪穴住居跡としては、県下最初の発見であった。また、縄文前期の遺跡としては飛騨地方の最も代表的なものである。
竪穴住居の大きさ
赤土面を約30cm程(地表より約1m)掘下げ7.4m×6.6mの楕円形で6個の柱穴があり中央には炉跡(直径1.2m)がある。

社頭掲示板



縄文時代住居跡

岐阜県指定重要文化財
縄文時代住居跡
昭和31年2月24日指定
ここは、縄文時代前期の縦穴住居のあつた遺跡です。
場所は、天満神社本殿の左後方部にあたります。
 縦穴は長径7.4m、短径6.65mの円形に近い楕円形で、中央に炉跡があり、中心柱の穴をめぐつて六個の主柱穴が配置されています。
岐阜県下で最初に発見された縦穴住居跡で、貴重な遺跡ですから大切に保存しましよう。

社頭掲示板



天満宮

創祀未詳国司姉小路宰相藤原頼綱建武2年5月当国に下向の後此の神像を同郡細江村杉■組に勧請の処四世参議尹綱応永18年8月戦死に付右神像を当村廣瀬組字小山へ遷座。其の後尚又今の地に遷座゛しと、この神像口伝には京都北野神社の神像と同作なりと云ふ。例祭日9月25日。

岐阜県神社庁



柳山古墳

1所在地 高山市国府町村山字柳山911
2種別 円墳
3大きさ 9m×9m
4高さ 1.5m
5築造年代 6世紀から7世紀に築造されたと推定される。国府町には約240基の大小古墳が現存している。古墳の大半は円墳で、横穴式石室墳が多い。村山地内には、更に一基存在したが滅失により現存していない。
6古墳の構造 未発掘のため、石室の構造や出土物は、未確認である。

社頭掲示板



天満神社

由緒 斐太国造の大椅命は朝廷の儀式に准じて天津神をこの地に祀った(成務天皇の御代)そして神事祭祀をつかさとる中臣連村山連をして他郷からも拝祭し「天津神社」と称した 後村山連祖神建速魂神と天児屋根命を合祀している。
「その後、幾世紀の世を経て建武年間姉小路籟綱は飛騨の国司に任ぜられて下向の際菅原道真公が彫つたと伝える御像を奉じ小島城の守護神として祀った、しかし、姉小路尹綱の時代1411年の戦乱で(像)は北の方 早稲香姫により奉持され落ち延びた末、里人々の厚い敬神に見守られながら辿りたどって当社の産土神として現在へ続く【御神像】が祀られた(斐太後風土記等文献)
以来天満宮(天満神社)として広く崇敬ざれながら此処神の聖地として延えんと受け継がれ又県指定遺跡縄文時代往居跡が境内で発掘されたことで更なるいにしえの実証を授かり今日に至っている。
令和元年 建之

社頭掲示板



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