延元3年(1338)越前において新田義貞戦死の際、その勇将畑六郎左衛門時能が、兵と食糧を求めて飛騨に人り、この地で墾田開拓したが、このとき京都の上賀茂と御所内の荒神の御分霊を祀り、田畑の守護神としたことに始まると伝えられる。 社地は老杉古木が鬱蒼と茂り、古来女人禁制の聖地であつた。 |
荒神社 創祀未詳なれども、享保年間長谷川代官著飛州志に「当神社創建年代未詳。古昔より婦女社地を踏むを忌み、又境内の枝葉を採るを禁ず。之を犯すものなし。」とあり、古来崇敬厚く、特に五穀豊穣、豊養蚕の御神徳を仰ぎ、陰暦閏年11月18日の例祭には五穀餅、醴酒を共す。此のお供へを作るに非常に清浄を旨とし、人家を忌み、積雪中乾田の中に大庭火を焚いて、米大豆小豆粟稗の五種を混ぜた餅と焚き火の跡に一夜作りの醴酒を醸す特殊神事は他に類例なく、今なお昔ながらに奉仕してゐる。 岐阜県神社庁 |