槻本神社
つきもとじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】槻本神社 飛騨国 大野郡鎮座

   【現社名】槻本神社
   【住所】岐阜県高山市丹生川町山口145番地
       北緯36度9分39秒,東経137度19分6秒
   【祭神】大山津見神 櫛御気野神 建御名方刀美神 八坂刀売神
   【祭神諸説】保食神『考証』
         月元大明神『飛騨国総社考』

   【例祭】9月12日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】仁寿元年(851)正六位上「文徳天皇実録」
       貞観9年(867)従五位上「三代実録」
       元文5年(1740)社殿改築
       明治4年郷社
       同6年1月祠官・祠掌を置いた。
       明治43年神饌幣帛料供進社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初よりこの地に鎮座

   【祭祀対象】本来は木を祀る
   【祭祀】社名の変遷は無い
   【社殿】本殿板葺神明造
       幣殿・拝殿・神樂殿・神饌所・社務所

   【境内社】子守神社

古来社名・社地に変更がない。
里伝に、境内に槻の大木があり、その蔭数里におよんだという。


槻本神社

所在地 山口字月本145番地
祭 神 大山祇大神、節御気野神、建南方刀美神、八坂刀売神
 創建年代は不詳であるが、延喜(901〜923年)式内社飛騨八社の一つとして、古来より崇敬されてきた。主祭神の大山祗大神は、伊邪那岐命・伊邪那美命の御子である。
 昔、境内に槻(杉)の巨木があり、白然崇拝の原始信仰時代神籬(常緑樹を供える祭壇)として神をここに祀ったものと伝えられている。この槻の巨木の陰は数里(一里は約四キロメートル)にも及んだとも言われ、社名もこの槻に起因し、この地の産土神として崇められた。
 1871年(明治4年)社格制定により「郷社」に指定され、1946年(昭和21年)「銀弊社」に指定され現在に至っている。
 覆殿で覆われた神明造りの本殿に続き、平棟造りの祝詞殿・幣殿・神楽殿・神饌殿・拝殿で構成された建造物となっている。
 1831年(天保2年)、郡代大井帯刀源永昌によって、社号碑(田中大秀揮毫)が奉納され、1988年(昭和61年)手水舎が完成した。
 祭祀は、元旦祭(1月)、春祭り(4月)、例祭(本祭り・9月)、秋祭り(11月)、除夜祭(12月)が行われている。

社頭掲示板



岐阜県天然記念物槻本神社のスギ

指定年月日 昭和54年6月15日
指定理由 樹勢が良好であるので天然記念物に指定して大切に保存したい。
概要 目通幹周囲 6.3m
根元幹周囲 11.0m
樹高 37.0m
枝張東 14.7m
枝張西 13.0m
枝張南 10.6m
枝張北 14.7m
由来 この大杉は古代の自然崇拝の時代から神の要域として祀られたものである。この杉は隣村坊方の里に陰を映し、旅行く人々は杉を目当てとして歩いたと伝えられる。
樹令千二百年(推定)とも伝えられ、由緒ある槻本神社の御神木である。
岐阜県教育委員会
丹生川村教育委員会
槻本神社

社頭掲示板



槻本神社

創祀未詳なれども、文徳天皇仁壽元年正月27日詔天下諸神不論有位無位叙正六位上(貞観格に依れば此の神社は同時従五位上に叙せられ給へるならん)清和天皇貞観9年10月5日飛騨國従五位下槻本神社従五位上を授く。宇多天皇寛平5年11月3日後宇田天皇建治2年7月20日に至る間八回御昇格あり。延喜式神名帳当国八坐の一なり。里伝に疇者境内に槻の巨木ありて其の蔭数里を覆ひしとぞ。故に社名此の槻に起因せしは明かなるも近世の公簿には月本と書けり。元文2年7月再興。天保2年7月郡代大井永昌社号碑を建立。田中大秀此を書す。

岐阜県神社庁



槻本神社

槻本は都岐毛止と訓べし○祭神詳ならず〇小八賀郷山口村に在す
類社
伊勢國多度郡櫛田槻本神社 
神位
三代實録、貞観9年10月5日庚午、授飛騨國從五位下槻本神從五位上

神社覈録



郷社 槻本神社

祭神 不詳 合祭 熊野久須美神 速玉男之神 南方刀美神
創建年代詳ならすと雖も、式内社本郡三座の一なり、神名帳考証に、「槻本神杜、保食神、槻調也、丹波國御手槻神社、日本紀云、手末之調」と見え、飛騨国神社考に、「槻本神社。大野郡小八賀郷山国村にまします、其宮地地の邊の田の宇をも槻本といふとそ、今文字を月元と書て月本大明神とまうす」とあり、又特選神名牒に「今按注進状ニ祭神大山祇命トミエ、飛騨神社考二此山口ノ槻本神ハ大山祇神ニヤ坐ラムト云レド、山国村二鎮リ坐ヲ以テ、山国神二思ヒョセテ云ルナルベケレバ、從ヒカダシ」と見ゆ、故に神社覈録拝社記の如く、祭神は詳ならざるものか、尚後考を侯つべし、清和天皇貞観9年10月庚午、從五位下槻本神に従五位上を加へらる、(三代実録)飛州志に「奥深く花を尋ねてあけぼのの山口しるく雲ぞかかれる」(後風土記、國司基網)、飛騨、壌狭田少、専力鴛事、時已仲夏、家別紡栽車四五座、村里之間車雌声軋轢終日不止、閾境議収綱練直数十萬金繭称之。又出山繭堅靭中用(幽討徐禄)と載せ、また祭神に関し、斐太後風土記には大山祇神なりと云ひ、里伝にも、大山祇神にして、相殿には稻荷神を祀ると云へり、記して後の考定を竣つ、明治4年9月14日郷社に列せられ、其後大日面村社熊野神社、大平村社諏訪神社を合祀すと云ふ。 社殿は本殿、幣殿の二宇を備へ、境内坪数550坪(民有地第二種)を有す。

明治神社誌料



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