菅原道真は当社に隣接する百代寺の僧隆全の関係によつて合祀された。百代寺の僧は、代々、当社の別当職を兼ねていた。 当社は少彦名命を奉ずる一氏族がこの地を開拓して住みつき、時代とともに住吉信仰や天神信仰あるいは稻荷信仰の流行に沿つて、次々とこれらの神々を合祀し現在に至つたものと思われる。 |
乎疑原神社 創立年不詳。延喜式の制に、賀茂郡八座の一つに加えられる。少彦名大神を主神とするが、菅原道真左遷にさいし、当国に立ち寄りしとき、知友の僧たる百代寺の僧隆全、訪れる。 道真の天満大自在天神と仰がれしおり、これを配祀し、天神宮と称し、いつしか天津神の天神と天満の天神と混同し、信仰する。 国内鎮守大小明神社記にも荻原明神と記す。 元禄5年(1692)、姫路市随願寺の天文13年(1544)鋳造の鐘を受ける。 明治7年(1874)、郷社に列せられる。 明治13年(1880)、弊殿新築。 明治24年(1891)、拝殿建替え。 明治35年(1902)、八幡神社合祀。 兵庫県神社庁 |
乎疑原神社 由緒 当社の創始は奈良時代にさかのぼる。平安時代の醍醐天皇の御代に「延喜式」の国幣の官社に指定された。加東・加西三十五箇村の総社として例祭には国家より幣帛が供進された格式の高い神社である。ご祭神大国主命・少彦名命は記紀によれば協力して国土を拓き農・工・商すべての産業開発・方除・治病・縁結び等、世の中の幸福を増進された人間生活の守護神である。 ご祭神菅原道真命は学者であり、政治家であり至誠の人であった。天神信仰によって、道真公は学神として庶民に奉斎されていった。また、芸能の神としても崇拝される。 社頭掲示板 |