菅田神社
すがたじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】菅田神社 播磨国 賀茂郡鎮座

   【現社名】菅田神社
   【住所】兵庫県小野市菅田町568
       北緯34度52分39秒、東経134度58分34秒
   【祭神】天目一箇神 表筒男命 中筒男命 底筒男命 気長足姫命 大山咋神
   【例祭】10月10日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】創立の由緒不詳
       保安年間(1120−24)現在地に遷
       万治3年(1660)6月再建
       明治7年2月村社
       大正10年10月神饌幣帛料供進神社指定

   【関係氏族】菅田首
   【鎮座地】元は菅田字南垣内に鎮座していた
        保安年間(1120−24)現在地に遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「住吉神社」「山王権現」と称していた
   【社殿】本殿流造檜皮葺
       幣殿・拝殿・土藏・御供所

   【境内社】

菅田首の一族がその祖神である天久斯麻比止都命を奉じて当地に移住し、奉齋したものであろう。
元は菅田字南垣内に鎮座していたが(その旧地をいまも宮山と呼ぶ)、川をはさんで南北の両氏子が社地の移転をめぐつて多年紛擾を重ね、遂に保安年間に氏子協議の結果、分裂移転することになり、南方派は現在の菅田字源太夫垣内に新社殿をつくつて御神体を奉遷、これが現在の菅田神社である。また北方派は嶋の垣内、つまり現在の小野市中番町字嶋ノ垣内に社地を選定し同年の霜月25日をトして御分霊、御神宝を東條川の川中にある亀岩(現在は菅田字中の川にあり菅田橋の橋脚を支えている、神体岩という)の岩の上で受取り奉遷したという。


菅田神社

延喜式所載の菅田神社の分霊にして、保安年間(1120〜1123)、今の地に遷座。住吉三神を合祀し、住吉神社と称すも、後、日吉神社を合祀し、山王権現と崇める。あるいは、式内菅田神社を当社とする説もあり。
 延久2年(1070)、万治3年(1660)、社殿再建。
 明治以降、菅田神社と改称。
 明治7年(1874)、村社に列せられる。

兵庫県神社庁



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