稲荷神社(播州糀屋稲荷神社)
いなりじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】天目一神社 播磨国 多可郡鎮座

   【現社名】稲荷神社
   【住所】兵庫県多可郡多可町中区糀屋434-2
       北緯35度2分6秒,東経134度55分17秒
   【祭神】稻蒼魂命 (配祀)若宇賀賣命 保食神
   【例祭】10月9日・10日 例祭
   【社格】旧県社
   【由緒】推古天皇2年(593年)建立
       神護慶雲3年、国内租稲五百を賜わる
       明治4年2月村社
       明治30年4月県社
       大正3年3月神饌幣帛料供進の神社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

推古天皇2年に創建されたと伝えられており、古来は稲荷山延命寺快智院と呼ばれていた。
『延喜式』「天目一神社」に比定される式内社(小社)の論社。


由緒

当社は人皇33代推古天皇の御代より、御鎮座1400年の歴史を伝え、御祭神は、稲蒼魂大神・若宇賀売大神・保食大神と申し上げます。天平時代、称徳天皇の崇敬厚く、神護慶雲3年、国内租稲五百を賜わりて、社殿の建立となり、勅使を使わせられました。天福2年10月時の代官中原氏より、また康永6年2月、足利将軍より、それぞれ灯油田の寄進があり、慶長5年11月、姫路城主池田輝政公より田畑一町三反五畝、境内山林六町一反二畝を寄進された。
寛永11年7月、大阪落城の後、姫路城主本多忠刻公のもとに嫁した千姫は、社堂を建立し、自らの安産を祈願するため詣で、恙なく一女督姫を出産され、その姫は、備前国岡山城主池田光政公に嫁ぎ、懐胎するや再び当社に祈願し、出生されたのが、名声も高き、岡山城主池田綱政公である。
斯くによりて、当社は安産の神として、古くから崇められ、寛永14年社領寄進の神社としての折紙を賜わりました。千姫は、奇しく、妙なる御神徳に感謝し、寛永20年4月自からを始め、徳川将軍、池田備前守等一門の武運長久・延命・国家泰平と隆昌の祈願として、薩摩杉一式による護麻堂を奉納し、翌21年には社殿の建立がありました。かくて慶安2年8月徳川将軍家光公を始め、歴代将軍より御朱印書が寄せられていたが、明治維新によりて上知となり、明治4年2月社格制の村社となる。明治30年4月播州で稀なる県社に昇格し、大正3年3月、神饌幣帛料供進の神社と指定されました。
現今の社殿は、文化12年(1815年)、播州織の元祖、飛田安兵衛安治氏の改築によるもので、文化14年に上棟したものである。
天に聳ゆる白亜の大鳥居建立、また松の緑も色濃く山水の調和を備えた神苑を設け、あけぼのがさね古代やすらえ作りの、赤い千本鳥居は県内唯一の最多奉納鳥居のお社として、福徳円満の御神徳の至り極まりなく、開運並びに業務繁昌の守護神で縁結び安産成就・病気平癒の神としても有名であります。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




稲荷神社

人皇33代推古天皇の創立。
 天平時代、称徳天皇の崇敬厚く、慶雲3年(706)、社殿の建立となり、勅使を使わせられた。
 天福2年(1234)代官中原氏より、また康永6年足利将軍より、灯油田の寄進あり。
 慶長5年(1600)、姫路城主池田輝政公より田畑、境内山林を寄進。
 寛永11年(1634)、姫路城主本多忠刻公のもとに嫁した千姫は、社堂建立し、安産を祈願するため詣で、督姫を出産。その姫は、備前国岡山城主池田光政公に嫁ぎ、懐胎するや再び当社に祈願し、出生されたのが、岡山城主池田綱政公である。
 寛永14年(1637)社領寄進の神社としての折紙を賜わる。
 千姫は、御神徳に感謝し、寛永20年(1643)、徳川将軍、池田備前守等一門の武運長久・延命・国家泰平と隆昌の祈願として、薩摩杉一式による護麻堂を奉納し、翌21年(1644)には社殿建立。
 慶安2年(1649)、徳川将軍家光公を始め、歴代将軍より御朱印書が寄せられていたが、明治維新によりて上知となり、明治4年(1871)村社、明治30年(1897)県社となる。

兵庫県神社庁




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