大津神社
おおつじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】大津神社 播磨国 多可郡鎮座

   【現社名】大津神社
   【住所】兵庫県西脇市嶋239
       北緯34度59分48秒、東経134度59分32秒
   【祭神】大津乃命 品陀別命 気長足姫命
   【例祭】10月10日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】慶安元年(1648)徳川家光將軍より朱印領十二石
       万治3年社殿再建(1660)
       文化5年(1808)社殿修覆
       明治7年2月郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「大津明神」と称していた
   【社殿】本殿権現造檜皮葺
       幣殿・拝殿・神饌所・社務所・随神門・神輿舎

   【境内社】稲荷神社
   【境内図】 境内図

播磨風土記にこの近くの比也山のほとりを応神天皇が巡幸せられたと伝え、其の由縁により早くより創立せられたるものと思われる。
大津の名は此の地が加古川畔の良い河港であることに依るものか。


由緒

延喜式帖神祇ノ十、神名ノ下、多可郡六座の内並小大津乃命神社とあり国内神名帳には大津明神といい、萬治三庚子年再建し慶安元年徳川家光将軍より朱印領十二石を寄せられ文化5戌辰二月社殿を修復し爾後多少の修理を加えたるも其形状に於ては変遷以て今日に至る播磨風土記に附近なるこの比也山のほとりを應神天皇巡幸せらると伝えたれば其由縁により早くより創立せられたるものなるべし。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



大津神社

式内社とは平安時代中期の延長5年(927)に完成した古代法典「延喜式」に登載された全国3132社のことで詳しくは延喜式内社という。旧多可郡では荒田神社(加美町的場)加都良神社(中町間子)兵頭神社(黒田庄町岡)古奈為神社(同町小苗)天目一神社(西脇市大木町、異論もある)大津乃命神社の6社が登載されている。
大津神社の起源は明らかではないが、伝説では寺内の氏神山の巨岩の洞窟から神霊が降臨したことに始まると伝えている。祭神は大津乃命、品陀別命(応神天皇)気長足姫命(神功皇后)である。大津乃命は古代史料には現れないが、所在地の嶋に加古川の津があったので祀られたと思われる。また、「播磨国風土記」の応神天皇巡行説話に登場する比也野、比也山が対岸にあることから、応神天皇とその母の神功皇后を祀ったと考えられる。
いずれにせよ、津万地域が古くから開発され、一つの中心地であったことは確かである。
なお、本殿左前にある芝居小屋と呼ばれる農村歌舞伎舞台も市内では数少なくなった民俗芸能遺産として貴重なものである。

社頭掲示板



大津神社

大津神社は、延長5年(927)完成の延喜式神名帳に大津乃命神社として記載されていて、大津乃命、応神天皇、神功皇后の三柱の神をお祀リし、平安の往古から津萬郷はもとより近郷一円の信仰を一つに集め、又、津萬の厄神さんの呼び名でも普く知られ、毎年の厄神祭には、市内外を間わず遠く県外からの参拝者も多数あり、九播地方随一の厄除けの神として信仰されています。
境内社には、高良玉垂命をお祀りする高良神社をはじめ、東照宮社、祇園神社等が鎮座坐し、お参りする人々を守リ導いておられます。津寓厄神の神守護によって衆災消除、健やかな日々を過ごされるよう祈念します。
大津神社創祀の伝説
本村寺内の西方山中に巨岩あり、おおさ丈余中央に洞穴ありその深さ測り知るべからず。口碑に曰く往古此の山の上常に神雲あり午後申刻に到れば即ち濛々漠々必ず日光を遮断す。一夜神雲飄々然として岩洞より出て遂に今の社地に降る。爾来里人拝跪渇仰深く新たに神殿を築き以て奉仕す。

社頭掲示板



大津神社

 延喜式帖神祇ノ十・神名ノ下、多可郡六座の内並小大津乃命神社とあり。国内神名帳には大津明神といい、万治3年(1660)、再建し慶安元年徳川家光将軍より朱印領12石を寄せられる。
 文化5年(1808)、社殿を修復し爾後多少の修理を加えたるも、其形状に於ては変遷以て今日に至る。
 播磨風土記に附近なるこの比也山のほとりを、應神天皇巡幸せらると伝えたれば、其由縁により早くより創立せられたるものなるべし。

兵庫県神社庁



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