往古神功皇后が棚原山に於て天神地祇を祀り給うた時、身禊すべき所を求め、この須加(即ち現今の境内近き清水)の地を得て身禊をし、諸々の物を備え給うたことがあるによつて一社を創立して神功皇后を祀るという。 もとは棚原山の山頂に鎮座したが、いずれかの時代に現在地に遷座したという。 田川神社には往古、奥社・中社・口社の三社があった。奥社が当社で、中社があった所が瑞雲山の八幡神社のある場所である。現在の八幡神社はのちに勧請された。もうひとつの口社は洪水で流失し、その所在地は不明と伝承されている。 |
由緒 神功皇后棚原山にて天神地祇と祀り給いし時にこの地にて禊をされた故事により創建された神社で、延喜式神明帳に記載のある古い社です。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
田川神社 この社は、神功皇后(269頃)にまつわる神社で、いろいろの伝説があるが、記録に出てくるところによれば、永正3年(1570)赤松一族がこの付近を治め、天正6年(1579)には赤松氏の代官として、馬杉五郎衛門が代って治めていた時本殿屋根の修理をしたとあるが(本殿造営の年は不明)拝殿は永禄8年(1565)に建てたこととされ、現在の田川神社となっているものです。 兵庫県・姫路市教育委員会 社頭掲示板 |
郷社 式内田川神社 祭神は、「息長足姫命」、「大年神」と伝えられています。境内には山神社、竹生島神社も別に祀ってあります。石の大鳥居と燈籠が奥須加院東端に位置し、一の鳥居から社殿までが相当離れており、現在は普の参道の面影は無くなっているが、距離から見ても、往時の勢力が分かる神域の広さである。 そして、境内入口にある石作りの高い門柱は一の鳥居と正対していると云われております。境内の北方にめる欅の木は香寺町内随一の巨樹で、1号樹と2号樹があり、推定樹齢600年を経て幹の周囲5.6m、高さ37,7mと樹勢が今なお極めて盛んである。旧香寺町より「香寺町天然記念物」の指定を受けております。 また、境内横を流れている須加院川には蛍が多く生息しており、毎年5月下旬〜6月上旬には蛍の優雅な乱舞が見られ、訪れる人の心を和ませています。 香寺中学校区地域夢プラン実行委員会 平成21年10月25日 社頭掲示板 |