宝剣(銅剣)が御神体であることは、天智記に「安置御宅」と記され、延喜式神名帳をはじめ多くの古書に登記され有名である。尚、奈良東大寺戒壇神名帳に「天一天白中頭天王」と天一神社のことが記されている。正月には疾病を免れると近郷より多数の参拝者がある。 明治20年(1887年)頃、平松の「ゴロウ」と呼ばれる所から銅剣が発掘された。これが当社の御神体・御神宝とされるもので、弥生時代に大陸から渡って来たものだという。県の重要文化財に指定されている。 |
由緒 創立年代不詳なれど延喜式神名帳に佐用郡二社佐用比売神社・天一神社とあり延喜年代の宮席あり、正しくは天一神社と云う。 鍛冶の神、職業神、銅剣(県指定重要文化財)は明治20年頃平松の「ゴロウ」と呼ばれる所から発掘され、弥生時代に大陸から渡って来たもので圃場整備の時に数々の土器が発見された。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
天一神社 天一神社由緒 東徳久字西間村鎮座 祭神 天御中主大神 この神社は今より約二千年前(彌生時代)に創立された日本でも最古の神社で寶剣(銅剣)が御神體なるは天智記に「安置御宅」記され延喜式神名帳をはじめ多くの古書に登載され有名である。尚奈良東大寺戒壇神名帳に「天一天白中頭天王」と天一神のことが登載されている。 ・延喜式神名帳に曰く 「播磨国佐用郡二座佐用比賣神社、天一神玉神社」 ・播磨鑑に曰く 「天一神社は柏原郷東徳久中馬村と云う所の上山 祭神天御中主大神 ・神祇全書に曰く 「天一神玉神社今東新宿村有称阿布良権現社叱乎」 ・文徳実録に曰く 「天安元年8月庚辰(紀元1517年)在播磨国正六位 上天一神授従五位下、丁亥在播磨国従五位下天一神預官社」 ・和名抄の百鬼経に曰く 「天一神和名奈加加美天女化身也」 その他の古書「姓氏録云」「神社覈録」「比保古云」「地名彙」「神祇志料」「播磨風土記」「播磨国細見記」「式社記」等に登載されている。 古例旧慣 往古より毎年正月朔日より七日間祭典を行いこの間に参詣すれば「天一神玉」の霊験により疫病に罹る事なしとの伝により参詣者は近郷のみならず他郷他郡の遠きより群参せり。 尚、近年は交通安全、入試合格、諸技術上達等の祈願により目的成就、喜びの人々急増せり 昭和54年8月吉日 社頭掲示板 |