大倭物代主神社
おおやまとことしろぬしじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】大倭物代主神社 播磨国 宍粟郡鎮座

   【現社名】大倭物代主神社
   【住所】兵庫県宍粟市山崎町下牧谷
       北緯35度1分47秒、東経134度31分2秒
   【祭神】大名貴神 事代主神 大物主神 健御名方神
   【例祭】10月9日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】創立年代は全く不明
       天正年間長水城落城の際兵火に遇つて焼失
       天和2年(1682)8月21日造営
       明治7年2月郷社
       明治14年大倭物代主神社と改称

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「諸守大明神」と称していた
   【社殿】本殿流造銅板葺
       祝詞殿・幣殿・拝殿・社務所・、神饌所・随神門

   【境内社】天満神社・大水戸神社・山神社・稲荷神社

創立以来の社殿は天正8年長水城主宇野下総守、秀吉公と戦い利あらずして落城の際兵火に罹りて焼失されたと云う。因って御神霊は現在の佐用郡南光町船越、船越山瑠璃寺南光坊へ当時の落人の手により遷座せられ、約百年後の天和2年8月再び現在の社殿を造営した。


由緒

当社は創立年代不詳にして社名を延喜神名式の制に大倭物代主神社として小社に列格せられ、明治7年2月郷社に列格、中古以来師衆又は諸守神社と称え祀られるを明治6年中大倭物代主神社と社名改称の儀旧飾磨県へ届出の処明治14年6月10日付けをもって許可せられた、創立以来の社殿は天正8年長水城主宇野下総守、秀吉公と戦い利あらずして落城の際兵火に罹りて焼失されたと云う・・・因って御神霊は現在の佐用郡南光町船越、船越山瑠璃寺南光坊へ当時の落人の手により遷座せられ、約百年後の天和2年8月再び現在の社殿を造営し祀られるものにして時の棟札は当社本殿に宝物として今猶保存されている。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



大倭物代主神社

当社は創立年代不詳にして社名を延喜神名式の制に大倭物代主神社として小社に列格せられ、明治7年(1874)2月郷社に列格、中古以来師衆又は諸守神社と称え祀られるを明治6年(1873)中大倭物代主神社と社名改称の儀旧飾磨県へ届出の処明治14年(1881)6月10日付けをもって許可せられた。
 創立以来の社殿は天正8年(1580)長水城主宇野下総守、秀吉公と戦い利あらずして落城の際兵火に罹りて焼失されたと云う・・・因って御神霊は現在の佐用郡南光町船越、船越山瑠璃寺南光坊へ当時の落人の手により遷座せられ、約100年後の天和2年(1682)8月再び現在の社殿を造営し祀られるものにして時の棟札は当社本殿に宝物として今猶保存されている。
 尚平成16年台風23号により幣殿・拝殿・絵馬殿が損壊。再建に向け奉賛会を設立し鋭意活動中。

兵庫県神社庁



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