与位神社
よいじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】与比神社 播磨国 宍粟郡鎮座

   【現社名】与位神社
   【住所】兵庫県宍粟市山崎町与位129
       北緯35度3分42秒、東経134度34分5秒
   【祭神】素盞嗚命 稻田姫命
   【例祭】10月9日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】成務天皇14年2月11日鎮座
       欽明天皇25年2月11日とも称
       元亨2年(1322)11月6日付の文書に記載
       建武2年(1335)国宣を奉ぜしめる
       明治14年2月村社
       明治42年5月子勝神社を合祀

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿流造檜皮葺
       渡殿・内拝殿・幣殿・表拝殿・社務所

   【境内社】大歳神社

伊和神社と当社、当社の北の丸山に鎮座していた子勝明神は、伊和三社とも称していた。
明治42年5月子勝神社を合祀した、現在の本殿はこのとき子勝明神から移建されたもの。


与位神社

御祭神 素盞鳴命 稲田姫命
御由緒 
素盞鳴命は伊弉諾尊の御子にして生来御気性の荒い神様で御姉天照大神のお怒りにあい天下り給いし後、稲田命姫をめとり、ひたすら心清々しき日々を送られた神様であります。当社の御創立は遠く成務天皇14年甲申2月11日鎮座と称し、また欽明天皇25年甲申2月11日とも伝えられ、そのいずれか定かではありませんが、伊和大神すなわち大国主命が国土経営をなされた時、父母の神として与位大神を与位山の地に、子勝大神を丸山の地に奉斎せられたのが始まりといわれ、延喜式という古い書物にもはっきりと記されていることからしても、延喜以前の創立を物語る古い御社であります。
播磨鑑という書物に「八乙女の鈴やふりつつ祈るにぞ神も願をよるの夢みせ」と記され、いまもこの故実により、八名の氏子の子女が巫女として大祭に奉仕しております。また昔から神饌第一に栗蒸を奉る古例が存続しており明治42年に子勝神社を与位神社に合祀し、今日に到っております。
一、 祭儀 春季大祭(4月29日)秋季大祭(体育の日)
一、 氏子 清野・杉ケ瀬・與位・木ノ谷 各自治会
一、 境内末社 大歳神社…猿田彦命・大年神
一、 境内地 3055坪

社頭掲示板



与位神社

素盞嗚命は伊弉諾尊の御子にして生来御気性の荒い神様で御姉神天照大神のお怒りにあい天下り給いし後、稲田姫命をめとり、ひたすら心清々しき日々を送られた神様であります。
 当社の御創立は遠く成務天皇14年甲申2月11日(紀元804年 西暦144年)鎮座と称し、また欽明天皇25年甲申2月11日(紀元1224年 西暦564年)とも伝えられ、そのいずれか定かではありませんが、伊和大神すなわち大国主命が国土経営をなされた時、父母の神として與位大神を與位山の地に、子勝大神を丸山の地に奉斎せられたのが始まりといわれ、延喜式という古い書物にもはっきりと記されていることからしても、延喜式以前の創立を物語る古い御社であります。
 播磨鑑という書物に「八乙女の鈴やふりつゝ祈るにぞ神も願をよるの夢みせ」と記され、今もこの故実により、八名の氏子の子女が巫女として大祭に奉仕しております。
 また昔から神饌第一に粟蒸しを奉る古例が存続しており明治42年に子勝神社を與位神社に合祀し、今日に至っております。

兵庫県神社庁



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