八保神社
やおじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】八保神社 播磨国 赤穂郡鎮座

   【現社名】八保神社
   【住所】兵庫県赤穂郡上郡町八保乙809
       北緯34度52分18秒、東経134度18分21秒
   【祭神】豊受姫命 (合祀)素盞嗚命 誉田別命
   【例祭】10月10日 例祭
   【社格】旧県社
   【由緒】承和7年(840)6月官社
       元禄13年(1700)今の山上に移
       文政元年(1818)12月本殿再建
       嘉永年間(1848年-1854年)の火災によって、古記録などが焼失した。
       明治7年2月郷社
       明治45年3月30日神饌幣帛料供進神社指定
       大正12年3月県社

   【関係氏族】
   【鎮座地】もとは山下の平地にあった
        元禄13年(1700)今の山上に移

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「焚天宮」と称していた
   【社殿】本殿入母屋造銅板葺
       幣殿・拝殿・神供所・社務所

   【境内社】四柱神社・雨之相魂神社・稲荷神社・山神社

祭事に際し、八束の稲穂を供する故に八穂神社と称するようになったという。
元来社殿は稻作の行なわれていた平地の田圃の中であつたのを、現在の山裾に奉遷したものであろう。
本来の祭神は豊受姫命のみであつた。


八保神社

創祀年代不詳。
 嘉永年間(1848年〜1854)の火災によって、古記録などは焼失。 鎮座地は岡村と呼ばれていたため、通称は岡の宮。八穂社とも赤穂八穂社とも記述される。『赤穂郡誌』によると、祭事に際し、八束の稲穂を供する故に八穂神社と称するようになった。
 また、梵天が播磨に天降ったという本地垂迹説があり、梵天宮とも呼ばれていた。
 主祭神は、豊受姫命で稲作の神。社地に関して、元禄年間(1688年〜1703)に山上に移し、昔の社地は田地としたという記録がある。 合祀の神々は明治になって合祀された。

兵庫県神社庁



八保神社

延喜式内
八保神社
鎮座地 兵庫県赤穂郭上那町八保乙809番地
御祭神 豊受姫命(とようけひめのみこと)
    素戔鳴命(すさのおのみこと)
    誉田別命(ほんだわけのみこと)
由緒
創立年代不詳、仁明天皇承和7年(840)6月延喜式小社に列せられ、国内鎮守大小明神記には「八穂明神」と記される。
降つて、寛永より慶応年間(江戸時代)には領主赤穂城主森氏より毎年8月15日の祭典に、領内豊穣祈念のため家臣を遣わし、幣帛料を奉納された。
元禄年間(1688〜1703)には社を現在の地に遷す、此の時龍門寺首座僧により略縁起が奉納されたと伝う、旧地は現在田地になつていると伝う。
嘉永年間(1848〜53)祠官宅土蔵火災により資料等消失のためこれ以上の詳細は不明。
明治7年(1874)郷社に列し、明治42年(1909)には須賀神社・八幡神社などを合祀し、大正12年(1923)には県社に昇格した。
「八保神社」の名称については、神社の境内に垣を立てて稲を懸け豊穣を祈念したことから「八穂の社」と言われ(赤松正村が戦勝祈願のため八穂社稻懸け神事を定めたとも伝わる)、また「梵天宮」とも言われた(梵天とは密敦十二神の守護神の一つで仏教の守護神)
境内神社
四柱神杜
天之相魂神杜
平成27年11月吉日設置

社頭掲示板



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