祭事に際し、八束の稲穂を供する故に八穂神社と称するようになったという。 元来社殿は稻作の行なわれていた平地の田圃の中であつたのを、現在の山裾に奉遷したものであろう。 本来の祭神は豊受姫命のみであつた。 |
八保神社 創祀年代不詳。 嘉永年間(1848年〜1854)の火災によって、古記録などは焼失。 鎮座地は岡村と呼ばれていたため、通称は岡の宮。八穂社とも赤穂八穂社とも記述される。『赤穂郡誌』によると、祭事に際し、八束の稲穂を供する故に八穂神社と称するようになった。 また、梵天が播磨に天降ったという本地垂迹説があり、梵天宮とも呼ばれていた。 主祭神は、豊受姫命で稲作の神。社地に関して、元禄年間(1688年〜1703)に山上に移し、昔の社地は田地としたという記録がある。 合祀の神々は明治になって合祀された。 兵庫県神社庁 |
八保神社 延喜式内 八保神社 鎮座地 兵庫県赤穂郭上那町八保乙809番地 御祭神 豊受姫命(とようけひめのみこと) 素戔鳴命(すさのおのみこと) 誉田別命(ほんだわけのみこと) 由緒 創立年代不詳、仁明天皇承和7年(840)6月延喜式小社に列せられ、国内鎮守大小明神記には「八穂明神」と記される。 降つて、寛永より慶応年間(江戸時代)には領主赤穂城主森氏より毎年8月15日の祭典に、領内豊穣祈念のため家臣を遣わし、幣帛料を奉納された。 元禄年間(1688〜1703)には社を現在の地に遷す、此の時龍門寺首座僧により略縁起が奉納されたと伝う、旧地は現在田地になつていると伝う。 嘉永年間(1848〜53)祠官宅土蔵火災により資料等消失のためこれ以上の詳細は不明。 明治7年(1874)郷社に列し、明治42年(1909)には須賀神社・八幡神社などを合祀し、大正12年(1923)には県社に昇格した。 「八保神社」の名称については、神社の境内に垣を立てて稲を懸け豊穣を祈念したことから「八穂の社」と言われ(赤松正村が戦勝祈願のため八穂社稻懸け神事を定めたとも伝わる)、また「梵天宮」とも言われた(梵天とは密敦十二神の守護神の一つで仏教の守護神) 境内神社 四柱神杜 天之相魂神杜 平成27年11月吉日設置 社頭掲示板 |