伊和都比売神社
いわつひめじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】伊和都比売神社 播磨国 赤穂郡鎮座

   【現社名】伊和都比売神社
   【住所】兵庫県赤穂市御崎 1
       北緯34度43分39秒、東経134度24分30秒
   【祭神】伊和都比売大神
       元々は豊受比売であるとも、また播磨国一宮である伊和坐大名持御魂神社(現在の伊和神社)の神(大穴牟遅神)の比売神とも言われる。

   【例祭】10月10日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】天和3年(1683)現在の鴎護岩(暗礁)に面した岩上に社殿を建立
       明治6年11月郷社
       明治45年3月27日神饌幣帛料供進指定
       昭和5年本殿以下を100m北の現在地に遷

   【関係氏族】
   【鎮座地】もとは大園と呼ぶ前方海上の八丁岩の上にお祀りしていた
        天和3年(1683)現在の鴎護岩(暗礁)に面した岩上に社殿を建立
        昭和5年本殿以下を100m北の現在地に遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「御崎明神」と称していた
   【社殿】本殿入母屋造銅板葺
       拝殿・社務所

   【境内社】恵毘須神社

旧赤穂郡の大字中村の漁民は、この御崎東方の海濱大園と云うところの崖下岩石中に湧き出る水を常に飲料とし、この事を神の御恩と感謝し、航海業者と相謀つて其の上に小祠を建てこれを祀つたという。
社殿はもともと海中の岩礁に小祠のあつたのを、淺野家時代今の岬の突端に社宇を建設し、更に昭和5年本殿以下祝詞殿、拝殿、境内社などを約100m北寄り後方に移して現在に至つている。


由緒

当社は今を去る一千余年前平安朝の延喜式神名帳にその名を記載する古社で伊和都比売大社はもともと伊勢外宮の豊受比売とも云われ、また播磨国一宮の伊和大神即ち大穴牟遅神の比売神とも云われ古くから御崎明神と称せられた赤穂民族の祖神である。
もとは大園と呼ぶ前方海上の八丁岩の上にお祀りしておったのを天和3年(1683年)浅野内匠顕長矩が現在の地にお移ししたもので「播磨なる御崎の石だたみ海の底まで行くぞ見る」と歌われているように奇岩の上に老松が舞い岩礁の地である。
かつては日本海々戦の勇将東郷平八郎元帥を始め歴代連合艦隊司令長官の崇敬厚くしばしば艦隊を率いて帝国海軍の勇士が参拝し、現在でも船員漁師など航海安全と大漁祈願はあとをたたず遠近からの信仰は盛んである。
なお特に珍しいのは古くから若き男女による姫神信仰が盛んで、縁結び或いは恋人を得るにご利益のある「姫守」をうける人が多く御崎の景色と共に近時有名である。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



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